第三章

7)松本から霧が峰

扉峠からの北アルプス

美ヶ原、霧が峰はそれぞれピークハントはしていましたが、線では繋がっていなくチャンスをうかがっていました。20076月に白馬の山楽荘での「山菜料理の会」に昨年に続いて参加することになり、その帰路に松本からランニングで美ヶ原の三城牧場まで、三城からは登山靴に履き替えて王ケ頭・茶臼山を歩いて三城のオートキャンプ場泊まり、翌日はアザレアラインを扇峠に駆け登って、三峰山~鷲ヶ峰~八島湿原~沢渡間の標高18002000mをトレイルランで繋ぎました。

白馬岳から焼岳までの北アの白銀の山波、乗鞍岳。御岳、恵那山、中央アルプス、南アルプス、富士山、八ヶ岳、浅間山、四阿山に根子岳と360度の展望を貪りながら最高でした。

後は細切れに、大門峠からスズラン峠、小淵沢駅から駒ケ岳神社もランニングで稼いで、南ア・光岳まで続いたことになりました。

ノーシューで車山へ20053

8)光岳から大無間山を越えて

 横断コースの中に、日本一の富士山を織り込みたいのが山親爺のこだわりなので、今回は、光岳から大無間山を越えて安部奥南部の井川峠・十枚峠を越えて内船まで計画しました。

一番の課題は今回のコース情報をネットで検索するも少なく、計画通り歩けるか。二番目は光小屋以降は山小屋は無く、テントと食料を担つがなければならなくザックの重さにコースタイム(5日間で43時間45分)で歩けるかで、軽量化に努めました。

期日;平成1985日(日)~10日(金)  

メンバー;単独(山田睦男)

8/6 今回は光岳からが未踏破のコースです。19年前に訪れた時の光小屋は小さかったが、新しくなっていてトイレもバイオで清潔です。光小屋を7月末に8/4日で予約電話をすると3日~5日は満員と断られ、今日も30数名の宿泊者で深田久弥百名山狙いの中高年が大半で、年満して登山を始め、百名山を数年でクリアーする金力を持って、経済活性化に一役たっているのかなーと思います。

受付時に小屋管理人から明日のコースを聞かれて私のコースを話すと、寸又林道を登ってきた人の話によると「死に物狂い」だったとのことで、装備についてもチェックされ、寸又林道の崩壊・樺沢登山口のポイント等の注意を親切に受けました。

翌朝目を覚ますと隣の東京のTさん(郷里は隣の木更津市)から「寝つきがいいですね」と耳栓を外しながら言われましたので「はい、寝つきが良いのが特技です」と応えました。

8/7;モルゲンロートに染まる朝を迎え、登山者は北へ(聖岳か易老渡)に向かっていますが、山親爺一人大無間山稜が大きく見える南へ向かう足取りには、目的に向かう武者震いが起こります。ハイマツ分布の最南端のゆるやかな尾根を下ると小一時間で百俣沢の頭へ。

寸又峡からの光岳登山口

カモシカの屍骸がゴロゴロ

実はこれより信濃俣・大根沢山の痩せ尾根を経て三方峰のコースがあり、光小屋の親父さんもこのコースを紹介してくれましたが、倒木が多くルート判断が難しいの情報から寸又川林道に一旦下って再度登り返すコース選択をしたのです。

林道が完全にガレの急斜面で覆われている三箇所は、トラバース中に滑り落ちたら寸又川に100m近くダイビングしてお陀仏でしょう。

カモシカの屍骸があちこちにみられ、水場が現れる度に頭から冷水を浴びてシャツも身体も洗濯もします。

林道歩き20kmで樺沢に着き登山口を探すと、千頭営林署の看板裏から踏み跡を見つけて一安心してテント設営です。テントといっても今流行のものではなく、軽量化のため20数年前のツェルトにストックをポール代わりにしたもので、

コーヒーを飲みながら夕食の準備は、α米赤飯に餅入り味噌汁だけです。夜半には林道の樹間から天の川に満天の星を眺めていました。

8/8;今朝は林道を流れる水をまたいでの水洗トイレで爽快です。水2㍑強を担いで急登よりもルートが不明確で幾度かロスして鞍部に。これから三方窪までが大変でした。熊の新しい糞に足跡、カモシカの足跡はあちこちに、それよりも目先の標識を見つけ、それに向かってのトレースを探しながらの歩きの連続でピッチは全く上がりません。時折、古い標識があって間違ってはいないことで安心感を覚えます。

1800mくらいの標高を樺沢側のガレ場をトラバースしているようですが、突然標識を見失い、ザックを置いてルート探索すると大きなぶなの根元に大無間山への古い古い標識を見つけ、その木には赤ペンキが薄く残っていました。この地点は来た方向から東に直角に方向転換するポイントでした。今度はザックを置いた場所が判らなく又ウロウロして小一時間のロスです。三方窪から大無間山までもこれまでと同様に標識を見つけ、ルートを探すという手順が続き、こんなに神経を使う歩きは疲れます。

新鮮な熊野糞

登山口から7時間20分でシラビソ樹林に囲まれた一等三角点の鎮座する大無間山頂にようやく到着、今日初めて腰を卸してのゆっくりとした休憩ですが、指の先に何かニョロニョロと、何と山蛭です。

下山口‘井川’までコースタイム5時間10分で到着は18:00か、こちら側のコースはネット検索でも多くの登山者が歩いているので、コース選択に気を使うことなく歩きに専念できるので短縮して17:30には到着しようと気合を入れて出発する。

でも、小無間山まではコースタイム通り、これからは鋸歯尾根のP1P2P3P4のアップダウンが続き、下っているのか登っているのか判らない錯覚を起こす。

特に上りになると急ブレーキがかかり足が進まず、山親爺はもうヘトヘトです。P4の小無間山の避難小屋には30分遅れで、持ち水は700ccでは避難小屋泊も無理か。これから2時間+αかかるとすると19:00を過ぎ、それからテント張り・夕食準備かと思うと気が重くなり、これで今回の計画も中途半ばで断念かと頭をよぎる。

避難小屋内部

避難小屋の雨水瓶に済んだ水を見つけ、即、避難小屋泊を決定してドアーを開けると綺麗な小屋です。八畳強の部屋を独り占め、小屋の隅に何時頃の水か不明ですが使用済みの数本のペットボトルがあり、これを借用することにします。よく沸騰させて正露丸を飲んで予防します。 コーヒーとα米白飯に牛丼と味噌汁で心も身体も落ち着いて、外に出ると小鳥達の大合唱が始まっていました。明日の当初予定は井川キャンプ場8:00出発、15:00コンヤ温泉キャンプ場なので、5:00に出発すれば予定通りになり、頑張る力が又湧いてきます。

8/9;樹幹からモルゲンロートに染まる富士山を眺めながら田代温泉の民宿‘ふるさと’にコースタイム2時間で到着。早速ビールを一気飲みし、お握りを頼むとOKとのことで、この間に一風呂浴びることにしました。

 井川大橋を渡って、茶畑の中に井川峠への標識を見つけて取り掛かるも、直に荒れ果てた杉林で進むことが出来ない。引き返して、大きく林道を迂回して再度登山口を見つけて登りますが、植林地の中には踏み跡らしきものがありますが、落葉樹林になるとそれも無く方向的に目標を定めて進んでいると、‘静岡教育庁’の札を三箇所見つけて間違いないことを確信しますがコースタイムを大幅に超えています。一旦、尾根の林道に出て井川峠に到着です。降りのコースを見ると歩き良さそうな山路でしたが、これも見せ掛けで登りもあったり、蜘蛛の巣に悪戦苦闘して梅ケ島に到着です。

 キャンプ場に足は向くことなく、民宿「孫佐島」に宿泊を依頼するとOKの返事で早速生ビールを注文、つまみのピーナツがくるまでに乾いた身体にみるみる間に浸み込んで二口で空いてしまいました。

 露天風呂で身体も衣服も洗濯、夕食は豪華で、馬・鹿・ヤマメの刺身にヤマメ塩焼き等々の酒の肴の数々についつい生ビールを2杯空けてしまいました。

 明日の朝も早発ちなので、朝飯と昼飯をお握りで注文して会計も済ませて早寝です。

8/103:30には目が覚めて、玄関に置いてあるお握りを取りに行くと、手紙が添えられた発泡スチロールのなかに冷却剤と共にお握りが、しかも、お握り以外にチョコレート・ビスケット・飴玉も添えてあって、お新香も沢山と、ここの若女将さんの優しさが包まれていました。後日、『無事帰宅されましたでしょうか』のお手紙もいただきました。

 朝食分を食べて、まだ明けきれぬ里山を、これで目標達成に一歩近づくことに少し興奮して自然に足も速くなっているようです。

 関の沢から林道を登って茶畑を抜けて十枚山登山口に。カモシカの頭蓋骨を横目に十枚山と十枚峠の分岐に。少しでも早く内船駅に到着して温泉にと思って、躊躇することなく峠道を選んで進みます。

 十枚峠からは一昨日越えた大無間の山稜が青く連なっているのが望め、無事に越えてこられてきたことに感謝して山々にサヨナラして下ります。 

静岡県から山梨県側に入ったことになり、こちら側はコースがしっかりして良く歩かれているようです。林道に出てからは、真夏陽を浴びての延々の歩きで今回の終点内船駅に到着、女学生に頼んでゴールの写真を撮ってもらい、‘なんぶの湯’に足を運ぶと何と休館(休館日は月曜)何故だ!駅のトイレで身体を拭いて着替え、駅前の食堂で生ビールで独り祝杯しながらこの五日間を振り返ります。                           内船駅⇒

光岳以降で出会ったのは寸又川林道での光小屋関係者四人のみで、それ以外は全く独り旅で、私のこれまでの山行の中でも、肉体的・精神的にも一番ハードだったような気がします。帰宅後の体脂肪率は7%減少、ちなみに今春の四国お遍路通し歩き36日間でも2%減少だった。

 こうして5日間の山旅のフィナーレを迎えることが出来たのも、天候に恵まれたこと、アドバイス、そして自分自身の強い思いがあったからではないかと思い「ありがとうございます」と感謝の言葉をつぶやきました。

9)波高島から毛無山を越えて北口富士浅間神社

【継足しの日本横断縦走】のラスト編の実行です。今回はJR身延線・波高島から下部温泉を通り毛無山を越えて朝霧高原までを1日目、2日目は朝霧高原から県道/鳴沢富士宮線をジョギングで北口本宮富士浅間神社を繋げば、日本海・親不知から太平洋・田子の浦までの山岳ルートを継ぎ足しで踏破したことになり長年の夢に向った。

❂期日;平成19113日~4

❂メンバー;単独(山田睦男)、近子(車でサポート)

11/3;天気予報は午前中は曇り、午後から明日に掛けては晴れ予報で幸先よし。相棒には波高島Stから湯の奥まで6Km/標高差300mをサポートしてもらい空身でジョギング。まだ登山口先までも林道が続いているが相棒の運転能力からここまでとし、下山口の朝霧高原グリーンパークH で待ち合わせとして歩き始める。

 装備はトレイルランニングシューズ・ロングタイツ・Tシャツ・長袖、ディバックにはスポーツ飲料1㍑と行動食少々・雨具・手袋・薄手のフリース・エイドキットと軽量とした。

最奥の集落・湯の奥から林道は高度を上げて登山口(900m)に、車4台に登山者名簿は7名の記載があった。歩きやすい登山道で山の神(1330m)で一休み、北側の谷筋は江戸前期までは金の採掘がされていたとのことで、この山奥に女郎屋敷跡や大名屋敷跡地の案内板も残っている。黄葉樹林にも陽が注ぎ始めて明るく映えてきてシメシメです。小鳥の囀りの中に、アカゲラの「キヨツ キヨツ」揺れる小枝にルリビタキの「ヒッ ヒッ」も聴かれて嬉しき限りです。
 
地蔵峠(1575m)にでると真正面に富士が・・・自然に声が上がります。湯の奥から標高差1075mを2時間201時間当たり460mを稼いだことになり、暗くならないうちに下山の見通しがついて一安堵です。

毛無山登山口

下山者から「展望台からは南アルプスがよく見えますよ」の情報で更に元気が出て、八ヶ岳に甲斐駒ケ岳から聖岳の展望を貪って山頂に着くと、静かな頂の期待に反して何と40人近くの中高年グループで賑わっています。ガスの流れの中に富士山が時折顔を覗かせるのを行動食を取りながら眺めています。中高年グループは東京某クラブで5:30に出発して竜ケ岳・雨ケ岳を経て来たそうで元気ハツラツ、降りは同じコースと知ったので、喧騒を逃れるために先に出発しました。

 グリーンパークHで相棒と合流、時間に余裕があるので明日のコースを少しでも短縮と思って県道/鳴沢富士宮線に出るまでのコース打ち合わせしてジョグを開始しましたが、相棒は行方不明です。何時ものごとく人の話をよく聞いていないからです。

 私は今日の宿まで12Kmを歩く覚悟でR139に戻って歩いていると幸いにも合流できました。立腹していましたが、サポートをしてくれていることに感謝して声を荒げることなく平気な顔で済ませ、我慢我慢です。58日間夫婦で横断縦走なんか我々夫婦では3日目で終わっているでしょう

11/4;昨日のラン地点まで戻ってジョギング開始です。昨日の反省から携帯電話と小銭を持ちます。左に紅葉の毛無山等を右手に冠雪の富士山を仰ぎ、最高地点からは天子山塊に本栖湖や南アルプスを眺めて、下りのコースは紅葉の樹間の中を気分最高に足が運びます。

焼間から国道138号線で車が一挙に増えた中を北口富士浅間神社に無事到着、足のトラブルも無く昨日は10kmランと登山、今日は27kmのランニング出来た事に感謝です。そしてこの二日間、富士山の様々な顔が見られたこともラッキーでした。富士登山競走の時は素通りしていた神社は七五三で賑わっていて、無事【継足しの日本横断縦走】達成のお礼のお参りをいたしました。