第二章
4)仙丈ケ岳から北岳

南アルプスで未踏破の仙丈岳から北岳、聖岳から烏帽子岳の二ヶ所は以前から是非歩いてみたいと思って計画書は出来上がっていたので、20049月仙丈岳から北岳に単独で実行した。

仙丈岳、北岳共に個々には雪山でも登っていて、今回は仙丈岳から仙塩尾根を経て両又小屋へ1000m下り、又、北岳へ1200m登り返してつなぐルートでした。

 両俣小屋では釣り客が多く、常連客が‘居酒屋両俣小屋’のネーム入りの赤提灯を持ってきていて、小屋の女主人が「今日は、居酒屋両俣小屋の開店日だ」とビール・つまみの差し入れもあって賑やかだった。

 翌日の左俣遡行が二日前の雨でどれくらい増水しているか心配でしたが、前日下降してきた二人の情報を得て、小屋女主人の「二人で協力して歩いてください」の見送りの言葉を受けて、単独行の茨城の青年と大滝までは同行した。11回の渡渉を繰り返し靴を脱いだのは1回のみで助かりました。

1979/1仙丈岳にて

北岳へは‘胸突き八丁’の言葉もありますが、ここは‘頭突き’の急坂で、山頂は乳白色に包まれていて八本歯コル経由で広河原に降って、山の余韻を楽しみたく芦安のペンションに泊まって、温泉とビールと冷酒で身体を癒しました。

1993/12北岳にて

※日本海から太平洋の日本横断縦走を意識したのは、200410月の船窪小屋での会話からです。

5)南ア大動脈、聖岳から三伏峠

 今回の山行目的は南アルプスの大動脈である聖岳―赤石岳―前岳―小河内岳―三伏峠と線で結ぶのが狙いで、56日は私の体力からは厳しく、このような長い山旅はラストになるだろうと覚悟して望んだ。もう一つのチャレンジがあります。それは下山するまでアルコールを断つことで、歩くより苦しいかもしれないが成否が楽しみで、20058月に出発した。

 装備は軽量化目的で避難小屋での食事はレトルト食品に、軽シュラは外してシュラフカバーのみ、着替えも帰路分のみで総重量は12Kgに抑えた。

聖岳小屋前からの日の出

8/7;快晴の朝、聖岳からが今回の未踏破ルートです。上河内岳・茶臼岳・易老岳・光岳へと続く尾根もしっかりと目に捉えることが出来ます。聖岳からはどっしりと腰を据えた赤石岳に連なる兎岳・大沢岳に今日の宿・百間洞山の家の赤い屋根も確かめられ、これからの行程の長さを感じさせられます。奥聖をピストンして聖岳を過ぎると極端に少なくなり、兎岳との鞍部まで真っ逆さまに下ります。

兎岳の登りにかかると岩場の花タカネビランジ・ハクサンフウロが頑張れと応援してくれ、兎岳三角点は這松の中を泳いでいくと、ひっそりと佇んでいました。

  大沢岳の岩屑の下りには閉口して百間洞山の家に着くと、何と横浜の笹川さん(栂海新道の時にタクシーに相乗りさせていただき、彼女の各県最高峰のラスト千葉県・愛宕山に同行させてもらい、いつも山情報を頂いています)とバッタリで握手握手です。この様子を見ていた他の人が、昔の恋人同士が偶然出会ったようだったと言っていたそうで、本当にお互いに驚きでうれしくありました。彼女も私と同じく南アを線で結ぶ目的だそうです。

8/8;今日は計画の中では一番長い行程でコースタイムは10時間10分なので気合を入れます。

 目指す赤石岳はガスに覆われていましたが、陽が昇るにつれて眠っていた山々が目覚めてきて輝き始めます。あっという間に赤石岳の山頂に立つと、南アルプスの峰々、富士山・中央アルプス・恵那山・御岳・乗鞍岳に槍穂高連峰と欲しいままの大展望の恩恵に属すことが出来ます。

 荒川小屋で行動食を入れて荒川三山に向かっていると、何やら撮影が?聞くとNHKで日本の名峰というタイトルで赤石岳を中心に撮っていて20064月頃のハイビジョン放送だそうです。9/18小さな旅では聖岳が放映されるとのことです。前岳を過ぎるともう登山者はいません。嫌になるほど瓦礫の大斜面を下りきったときに反対側から登山者が一人、彼曰く「高山裏の親爺は偏屈だ」と言葉を残して擦違った。

 問題の小屋に到着した親爺の印象は、確かに口が悪いが人間的には良い親爺で、私のシュラフカバーでは「寒いぞ、マットと毛布を使え」と快く貸してくれ、夕日に染まる悪沢岳を眺めながら山の話に興じた。夜は寒くて2回もトイレに起き、星のきらめきを確かめた。小屋泊は3人。

8/9;今朝は中央アルプスのピークが一つずつ確かめられ、槍穂高連峰もはっきりと捉えられ、この四日間の天の恵みに感謝です。

 シラビソの樹林帯の中の歩きはフィトンチッドを全身に浴び、膝下は朝露に濡れ、マルバブキタケの中を泳いで、柔らかい落ち葉はクションよく優しく疲れた足が喜んでいます。小河内岳から富士山が、このロケーションを何日間も眺めて見たいなーと思わせます。烏帽子岳に立って目標達成です。仙丈ケ岳・北岳・間ノ岳は雲が流れて見へ隠れしていますが、塩見岳は天の中に頭を突き上げて『よくやったね』と祝ってくれているようです。振り返ると足跡を残してきた山々も祝ってくれています。乾杯するビールはありませんが、水で祝って記念写真を撮ります。

 ケルンの側で南アルプスの山々を眺めながら今までの思い出に浸り、今後の計画を練ったりして時を過ごします。塩川小屋まで4時間足らず、もう少し時間があるので山との対話の時間を持つことにします。

 塩川小屋の親爺さんに高山裏小屋の親爺から預かったメッセージを伝え、昔の塩川小屋を話すと、そんな昔の事を知っているのかと懐かしがって会話が弾みます。風呂上りに五日ぶりのビールです。つまみも何もいりません。縁台に座って山を眺め、親爺と語りながらのむビールは五臓六腑に染み渡り饒舌になっているようで、我慢の五日間でしたが、もう一つのチャレンジも達成できチョッピリ自慢です。

 これで南アルプスは駒ヶ岳神社から光岳まで線で結ぶことが出来、まだまだ歩けるのではと欲も出てきそうです。今回新しく踏んだ山は8座で、累計994座で目標1000座まで後6座です。1000座目は何処に誰と考えています。

6)西穂高岳から奥穂高 

198312月西穂山頂にて

西穂高岳は1983年年末に西穂山荘前にテントを張って鉈目会4人でピストンで登っていたが、西穂高岳から奥穂高岳へのルートは夢又夢で、奥穂高岳からジャンダルムに立つ山人を眺めては羨ましく思っていました。

 2006年の夏に九州の山仲間NYさんから西穂岳―奥穂高岳―槍ヶ岳縦走の誘いを受け、

ジャンダルムピークにて

馬の背を越えて

ジャンダルムにガスがかかって

穂高小屋を出発

槍を目指して

夢への挑戦が出来ると胸膨らませて参加、西穂山荘でリーダー藤原氏を含めて7名が合流しました。天候にも恵まれ、そんなに危機感を持つことなく間ノ岳・天狗ノ頭を通過、念願のジャンダルムに立った時には満面の笑みをしていたと思います。ロバの耳も無事通過して奥穂高岳山頂では今日のトレールを振り返って、日本横断ルート踏破に又一歩近づいたと拳を握り締めたものです。