4.踏破ルートを振り返って

今回のルートで最初に歩いたのは1963年(S38)の夏にSCRAP初の北アルプス挑戦で、烏帽子岳から槍ヶ岳・奥穂高岳・前穂高岳・上高地縦走でした。このときの双六小屋から西鎌尾根を経て槍ヶ岳間はこのときの一回のみ。もう一つは翌年の1964年に山下健三君と二人で白馬岳から針の木岳を歩いたときの鑓ケ岳から唐松岳間の不帰キレットもこの一回のみです。踏破の印象残るコース(ルート図の黄色・水色)について記録から拾ってみました。写真は文章とは関係なく、古い写真を貼り付けました。


1963年鷲羽岳から槍ケ岳をバックに

第一章
1)黒戸尾根

黒戸尾根五合目から梯子・鉄鎖・岩場の足ツボを駆使しての登りは日本三大バカ尾根の一つに相応しい厳しさで迎えてくれましたのが20018月でした。この時はまだ日本山岳横断なんて全く考えもしていなく、ただ単にまだ未踏破のコースを歩こうという単純な気持ちで単独で歩きました。

 中央線・日野春駅舎で仮眠、予約のタクシーで霧雨の駒ケ岳神社へ。湿度100%で全身に汗して深い原生林の中をひたすら足元を見つめて歩き続けること4時間で、意外と早く七丈小屋に着いた。この頃から野鳥にも興味を覚え始めて、歩いていても小鳥の囀りに耳を傾けるようになっていて、途中初めて出会った小鳥を小屋の野鳥図鑑に見ていたら、記憶通りの翼の白い羽縁に頭の黄が「キクイタダキ」と知った。翌日、樹林帯を抜けると富士・鳳凰三山・八ヶ岳連峰・槍穂高連峰が雲海の上に神秘的な姿を見せてくれ、きっと独りで微笑んでいることでしょう。着いた甲斐駒ケ岳の頂はまだ静かです。そして、北岳・間ノ岳・悪沢岳・仙丈ケ岳に中央アルプス・乗鞍岳・後立山連峰・奥秩父連峰と360度の大パノラマを貪ることができます。北沢峠方面からの登山者で少し賑わってきたので仙水峠―栗沢山―アサヨ峰を経て早川尾根小屋に向いました。甲斐駒ケ岳(2966m)は黒戸尾根の修験道を登ってこそ、この山を登ったのだと痛感した。 

1979年 冬の甲斐駒にて
2)田子の浦から富士山頂
雄大な気高さにより、古くから「日本人の心のふるさと」として崇められて親しまれ愛されてきた富士山に、出発点は万葉集におさめられた山部赤人の和歌「田子の浦 うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」にも登場し、歌枕としてよく知られている田子の浦から山頂まで一昼夜を掛けて歩いて登ろうと企画提案したのが2000年。でも、この夏に私は熱中症入院で中止。2001年はリベンジと鉈目会発足20周年イベントという名目で再計画。やるからには完歩目標に、吉島君を実行部隊長に四回のロングウォークも実施して望んだ。実施時期は車も人も入山者が少なくなる91日から2日に設定して参加者を募集すると、何と20名が集まった。往復移動、途中のサポートからも貸切バスをチャーターした。

田子の浦で、剣が峰三角点に太平洋の海水をプレゼントするためにペットボトルに組んで、自転車部隊3名、五合目から山頂を目指す2人を除いて15名で13:35出発です。南口富士浅間神社で安全祈願をして、自転車は1人に、歩きは12名で再出発。サーキット族の爆音轟く横をトボトボと予定より遅れ気味。

 グリーンキャンプ場(1400m)がバスの最後の待機場所で、これからは五合目(2400m)まで約6時間予定、富士山頂を本目と考えた5人がバスの人になって、残り7名(男6、女122:30出発です。

出発の田子の浦海岸にて

速度も速くなって、駿河湾に富士市の夜景が浮かび、距離表示が縮まっていくのが嬉しくなる。新五合目3:15到着。バスで先着組みが大歓迎で出迎えてくれ到着の早さに驚いていました。

 テントで仮眠して、8名の初富士登頂を含めて17名、3名は仮眠の後片付けで待機してもらって5:35再出発です。自然に足レベルで三グループに分かれて山頂へ。田子の浦から1stGr19時間05分、2nd20時間45分、3rdGr21時間20分で剣が峰で全員揃って記念写真と海水を山頂に捧げました。山頂ドームの測候所解体という歴史的瞬間にも出会い、無事全員下山(16:40で田子の浦からは27時間05)し、箱根に向うバスの中から、富士山が「みんな頑張ったね」と祝って全容を見せてくれていました。

 箱根では快い疲れを温泉で流して、盛大な完歩祝賀会とトークリレーで締めました。

3栂海新道

栂海新道を歩く夢は20数年前から抱き続けていて、小野健さんに手紙を出して情報入手したこともありましたが、2003年夏に単独で北叉小屋から入山しました。北陸本線泊駅に夜行列車から下車したのは登山者4人のみでした。3人グループの女性はタクシーを予約していて、私はドライバーにもう1台頼みましたら、女性グループから「同乗しましょう」の声がかかりましたが、ドライバーは「荷物もあるのでタクシーの底が擦るから駄目」と断りますが、リーダーと思しき女性が強引に頼んでくれて同乗できました。タクシー代の半額を払おうとしましたが、山に登る者同士ですからと割り勘にしてくれ助けられ、同じ山小屋だったので、彼女達が到着するのを待ってお礼にと缶ビールの差し入れをしました。

 彼女達とは同じ栂海新道で、その中の笹川さんとは2005年南アルプスの百間洞山の家で偶然に再会、私と同じコースですが逆方向で、2年ぶりの再会で話しに花が咲きました。その後もメールで山情報をいただいていて、千葉県最高峰の愛宕山には同行させていただきました。栂海新道に入ると登山者は少なく、朝日岳から黒岩岳までは高嶺の花オンパレードで、以降は高度が低くなるにしたがって全身汗まみれで、国道に降り立って更に海岸まで下って日本海の中に飛び込んで万歳しました。海に遊びに来ていた人からお祝いにと缶ビールをいただきました。単独で歩いていても、山から人から色々と助けられることにいつも感謝です