3.プロローグ

日本海から太平洋までを一気に横断する登山記録を幾度となく拝見してきましたが、房総の山親爺にはそのような体力も気力もなくただあきれるばかりです。

20038月栂海新道を歩き、20049月船窪小屋に宿泊した折にバイトの桐ちゃんから縦走完歩の話を聴いて刺激され、これまで歩いたルートを線で結んでみるとヒョットしたら繋がるのではと、自分なりのコースを作って未踏破コースを完歩しようと目標を立てた。

過去には一気に歩いた記録も拝見しました。その中で特筆は日本海・親不知海岸から太平洋・沼津千本浜海岸までの700kmを五十八日間かけた踏破した記録で、それを夫婦で、私には全く考えることが出来ない盛挙です。

 平地のルートは1991年日本海・糸魚川河口から駿河湾・吹上の浜の300Kmをフォッサマグナ沿いに挑戦したが、実は白馬・大町・穂高・松本までで足の裏に激痛がでて、立っていることさえも困難で断念、ウォーキングの経験不足を反省して松本の町で憂さ晴らしに痛飲した記憶が残ってます。

翌年に前年の反省を活かして、松本から塩尻・諏訪・茅野・韮崎・白根町・身延・吹上の浜に無事ゴール、2年がかり通算6日間一人で歩き通せました。

 その後もウォーキングにも取り付かれて、長野・諏訪湖から熊本・八代の中央構造線1000Kmや四国縦断等は高松ワンゲルの企画に参加、鉈目会として秩父三十四ヵ所、東京湾・幕張から銚子まで、他に房総横断ナイトウォーク等、山歩きのトレーニングとして続けてきました。

平成192007)年3月には山歩きの経験を試すために四国八十八ケ所歩きに挑戦し、無事36日間で完歩したので、2007年は横断縦走の未踏破三ルート(松本〜霧が峰、光岳〜内船、身延〜北口富士浅間神社)に挑戦することにしました。

だから、北から南からと一貫した歩きではなく継ぎ足しの横断縦走の結果ですのでご容赦ください。

1963年烏帽子小屋前にて

キスリングを背負ってます

間ノ岳からガスが晴れて富士山が突然に現れた 1987

九州の山仲間と船窪小屋で

コンタツさんを囲んで 2003

1995年 初の富士登山競争