第四章 NO91〜NO100

 百名山も余すところ10山となった。手近では天城山のみ、残りは御嶽山と北アのど真ん中の黒岳、紀伊の国に大峰山と大台ケ原、北の国に利尻岳・羊蹄山・十勝岳・阿寒岳・幌尻岳と費用も日数もかかる難物ばかりなり。一番取り組み易い天城山を91番目に選んだ。   1993年4月
NO91 1993.04.10 天城山 天城の山麓は桜が満開に唄い、木々の芽はパーマネントグリーンに装いを新たにしていたが、馬酔木の古木を縫ってたどり着いた頂は、寒気の悪戯で思わぬ霰に見舞われて一瞬の間に真っ白に化粧してくれた。独り静かに良き山を味わうことが出来た。
NO92 1994.07.22 御嶽山 久しぶりに夏の3,000m稜線歩きを満喫してきました。92番目の百名山の三角点は独り静かに踏んで心の中で万歳をして祝って、お鉢を巡って山頂の対角線あたりのピークで祝杯をした。翌日は継子岳の頂で静かな静かな時を‘こまくさ’に囲まれて過ごすことも出来て思いで深い山となった。
NO93 1994.11.15 大峰山
(八剣山)
紅葉の遅い今年の秋だが、山頂へ立つ日は霙降る朝でもう冬の到来を告げていた。山中からは大台・大峰/吉野・金剛/葛木の山々の360度の展望を飽くことなく眺めることが出来た。その仲に憧れの果無山脈があったのは思いがけない大プレゼントだった。大峰は深く深く静かな山だった。六甲全山縦走に誘われたので、大峰・大台ケ原を計画、キリマンジャロの仲間の高槻市の楢崎さんが同行してくれました。
NO94 1994.11.16 大台ケ原 深い深い霧の中を歩いた。正木ケ原では鹿の家族と遭遇、登山道を占領してイトザサの朝食。雄鹿は私と対峙して動く気配なく、私は獣道を遠回りして去った。翌日は遅い秋の大杉谷の渓谷美を堪能して下った。下山後は楢崎さん宅で飲み語って、翌日はドンドン山にバイクで登りました。
NO95 1995.07.31 幌尻岳  北の山は何故雨でしか迎えてくれないのか。どうしてそんなに意地悪なのか。長年想い恋焦がれてやって来たのに,そんなに邪険にしないでくれよと、幌尻も冷たい雨の中で友と握手した。そして,この雨は幌尻小屋にニ日間の沈殿というおまけまでついた想いで多き山となった。
増水で無念
NO96 1995.08.02 十勝岳 広く大きな裾野を見せていた十勝岳は、我々が望岳台に着く頃から黒雲を呼んで雷と霙を混じえた雨になってきた。頂も強い風を避けて、晴れていればと想像を膨らませた山だった。
NO97 1995.08.03 阿寒岳 這松帯を抜けると一気に展望が開けて、エメラルドグリーンのオンネトーも輝いています。阿寒湖も雄阿寒岳も現れて色彩豊かな景観の中に一時間近くも心豊かな時を持つことが出来た。
 残る三山は来年の楽しみに残しておこうと考えていましたが、今年10月には出向、来年3月に退職と職場環境も変わるという現実感から、百名山も一区切りつけておいて新しい生活に入ろうと9月中に残りも歩くことに決めた。  1995.8.19
NO98 1995.08.26 黒岳 水晶岳で今独り静かにガスに包まれています。私が頂に立つと一人去って一人来てすぐに去っていきました。ビールを傾けながら、久恋の山とこれまでの想いを語ってます。三俣蓮華から振り返った水晶岳は北アの中央部の山の中でも、一段と高く重厚で、今まで残しておいて良かったなーと思いました。
NO99 1995.09.15 後方羊蹄山 辿り着いた火口内壁は、秋色満艦飾で驚嘆の声をあげさせてくれます。三回目の北の山旅は三度目の正直で、地元の人もこんな天気は久し振りと言わせる快晴だった。
NO100 1995.09.16 利尻岳 99山の重みを抱いて、一歩一歩噛みしめて踏んだ100番目の頂は濃い霧が流れてはいたが、私の心は晴れやかだった。準備していた「やったぜ!!日本百名山・完歩」の記念幕を広げて記念写真。周りの人達からも拍手で祝ってもらった。ありがとう。山も祝ってくれるのか、草紅葉の南峰や眼下の海と稚西海岸も覗かせてくれる。下りには通り雨・大きな虹・夕陽に映える頂と燃える落陽と最高のプレゼントを受けることが出来た山でした。