第三章NO1〜NO29 

1992年が終わって、NO30〜NO90まで整理が出来たが、残す10山を登り終えるまでは、まだまだ時間がかかりそうである。それならばと、NO1〜NO29までをカビの生えた山日記やセピア色したアルバムから記憶を呼び戻して整理することにした。
---房総に今年初めて雪が舞った1993年1月23日---
NO1 1960.10 大山 当時の日記(会社でもらう黒表紙の小さな手帳に山行記録を付けていた)の9月29日欄に登山靴購入\9500とあり、その後大山登山に備えて、福知山・英彦山に同期のS君と歩いた記録も残っていた。そして私にとって初めての大きな山は本谷の紅葉と大山北壁の険峻さに圧倒され、靴幅程度の稜線を恐る恐ると歩き砂走りは飛ぶように降ったのを今でも新鮮に覚えている
元谷小屋前。19歳
NO2 1960.12久住山
        
前回の大山で自信がついたと過信したのか、冬の久住に向った。雪の法華院から北千里を経て頂に立ったのだろう。それよりも牧の戸峠付近の霧氷、我々の睫毛が凍る初体験も生生しい。その後九重山荘をベースに九重の山へは四季を問わずによく通ったものだ。ノンちゃん、今どうしているのだろう。
NO3 1961.09 石鎚山 初めてブロッケン現象を見た。瓶が森から一気に面河渓まで歩いても疲れはなく、夜遅くまで酒に騒いだ。
石鎚山頂
NO4 1961.11 祖母山 傾小屋からの傾山のシルエットの印象が強かった。祖母小屋の親爺に魅かれて、この山も私の愛する山となっていった。
NO5 1961.11 開聞岳 海抜0mより螺旋状に一周すると山頂だった。霧島へ登る前の日の駄賃だった。
NO6 1961.11 霧島山 キスリングに製鋼部のペナントをつけて、勇ましく歩いたなー
NO7 1962.08.21 立山
弥陀ヶ原
入社同期の仲間で作った「SCRAP36山の会」で北アルプスを歩きたい願望があって、私が体験をしようと製鋼部山岳会とやってきた。弥陀ヶ原が北アルプスの一歩の始まりの地であり、ただただ感激し圧倒されてしまった。立山山頂からの360度の大パノラマ。この日が山へ深く魅了された記念日であろう。
NO8 1962.08.21 剣山 別山乗越でリーダーが剣岳往復を募ったので、イの一番に手を上げた。カニの横這い等足の震えがあって指導されて無事山頂に立った。
NO9 1962.08.25 乗鞍岳 芦峅で解散後,山旅のフィナーレとして乗鞍にやってきた。頂よりガスが切れると槍ヶ岳が突き出きて、山との別れ際に槍ともう一度逢えたのは幸せだった。
NO10 1963.07.16 鷲羽岳 今年はSCRAP仲間で‘槍ヶ岳への山旅’と銘打ってやってきた。鷲羽岳の頂に立つ、北アルプスの中央に今。槍・大天井・燕・針の木・鹿島槍・五竜・白馬・剣・立山・薬師・黒部五郎・白山・穂高・・・すべての山が確かめられる。これらの山々に挨拶を忘れてることに気が付いて遅れはしたが充分にお辞儀をした。
NO11 1963.07.18 槍ヶ岳 雨のため頂に立つのは一日遅れはしたが、待望の頂に触れることが出来、日が沈むまで静かに静かに佇んでいた。
ケルンと槍
NO12 1963.07.20 穂高岳 山を降りる日も素敵な天気で、槍にお別れを告げて下る足は軽かった。辿り着いた上高地は清楚なたたずまいだった。
NO13 1963.08.19 阿蘇山 北九州っ子が山懐に抱かれて、自然っ子の時間を過ごそうと七人の仲間と歩き、ツベツキ谷のキャンプを楽しんだ。
NO14 1964.08.10 白馬岳 「一度登ってみたい」と言っていた北アルプスに三度目。昨夏、穂高の降りに来年は後立山と話してた四人の顔が二人になったのは寂しいけれど、彼らの分まで登り汗を流して、雪渓の痛いほど冷たい水を腹一杯に飲んだ。浅間温泉から美ヶ原まで我々二人のために臨時バスを出してくれて心温まる人にも接した山旅だった。
NO15 1964.08.12 五竜岳
NO16 1964.08.12 鹿島槍ヶ岳
NO17 1964.08.14 美ヶ原 日暮れ時、高原の窪みからひそやかにガスが流れる。そのガスの中より大きなキスリングを背負った三人の若者が、すれ違いざまに、俺の日焼けした黒々しい顔を見て「コンチワス」と挨拶をかわして去っていった。これが山男の挨拶だ。
NO18 1965.05 宮之浦岳
大きなキスリングを背負ってトロッコ道を歩く
.「あ!雲が動いている、象さんのようだ」。ここは南の島初夏の陽を浴びて登ってきた。原始林を抜けて明るい高い天に真っ白な雲が一つ、大きくゆっくり東の空に動いている。誰かが高い声で言った。「あ!雲が動いている。象さんのようだ」笑い声がどっとあがる。疲れがすーと抜けていった。SCRAP仲間との山旅だった。
NO19 1966.08 霧が峰 表銀座を歩いた帰路に霧が峰に寄った。霧の流れの中を歩いて辿り着いた小さなchimneyを持つ小屋で、濡れた身体を暖炉に寄せてHotCoffeeを飲みながら、若い小屋の主より霧が峰の歴史に四季の話に耳を傾けた。この小屋で過ごしたひとときの思い出にLampの土産を求めた。
NO20 1967.08 黒部五郎岳
北アルプスの朝
六度目の北アルプスの山旅はSCRAP仲間のK.Y君と、今まで歩いてきた想いでの山々をじっくりと眺めながら喧騒を逃れて足跡を残そうとやってきた。馬蹄型の黒部五郎岳の三角点は我々二人きりの静かな頂だった。
NO21 1967.08 笠が岳 一人で立った山頂はガスだった。でも何故か寂しさは無く、霧にケルンに這い松に守られていて友と語りあっているような錯覚にとらわれていた。寒くなったので友の待つ小屋へ戻った。
 以上が九州に住んでいたときに歩を印した百名山である。登山靴なるものを履いて歩き始めて7年、そして翌年の昭和43年8月に君津に転勤、北アルプスも近くなり、山にスキーにも頑張れるぞという気持ちを強く持っていたものだ。
NO22 1968.09 谷川岳 先に君津に転勤していた先輩を早速誘って谷川岳山行を計画。上野駅の混雑に度肝を抜かれ、夜行列車のすし詰めにたまげて、土樽から谷川岳〜天神平と歩きその日に帰って、君津から山の近さを感じ喜んだ一日だった。
NO23 1969.11 鳳凰山 夜叉神からの北岳、地蔵岳のオベリスク、めざし状に寝かされた鳳凰小屋と初の南アルプス山行は強烈な印象を与えてくれた。
NO24 1970.07 富士山 目的も無く夜行列車に乗って、座ることも出来ぬ混雑さに大月で下車し富士に向うことにした。眠くて登山道の仮眠でようやく元気が戻り、お鉢を一周して砂走りを一気に下った。
NO25 1970.08 薬師岳 太郎平から薬師・五色原・一の越を経て黒部ダムへ抜けた山行で、天候には恵まれず薬師の頂きも濃いガスだった。
NO26 1972.07.04 常念山 蝶が岳で台風にあってツェルトの中で縮みこまって過ごし、翌日常念の頂きを踏んだ。一の沢の降りは長く暑くこたえたものだった。
NO27 1972.09.23 木曽駒が岳 中秋の名月をとやってきたが曇空で果たせなかった。
NO28 1973.09.15 八ヶ岳 山頂へはあまりにも早く着いてしまった。精神的に私の人生の中で悩み苦しんでおり、歩を速めて身体を疲れさせることで逃避しようとしていたのだろう。山頂小屋で本を読みふけて時を過ごし、景色などを見て想いにふける心の余裕も無かった。単独行の多い時期であった。
NO29 1975.01.01 大菩薩嶺 雪降る中を歩き、空も心も晴れぬ山行だった。
 古い記録からNO29までを甦えさせることがどうにか出来た。人生を山登りに喩えて言うことがあるが、こうして整理していくと、私の人生はまさに当てはまるものだ。その時の心の状態が山を歩いていても敏感に反映されている。1974年は自分自身から逃避してネパールトレッキングに出かけている。