第二章  NO51〜NO90

NO51 1985.06.01 四阿山 折り返しの山は四阿山である。それも細君と二人ずれの山旅となってしまった。静かな山で心行くまで山というものを味わってきた。
NO52 1985.09.16 蓼科山 岩の広場より北アルプスの山波が雲海の上に行列して迎えてくれた独り山旅の蓼科だった。
NO53 1986.07.19 男体山 梅雨が明けきれぬ空は灰色に曇って山には明るさがない今日。燧岳・日光白根山・皇海山と確かめられるもあまり感激がない。それは、あまりにも人の手によって造られた登山道のせいかもしれない。
NO54 1986.08.10 赤石岳 富士見平からの赤石岳は、雲海の上に朝の陽を柔らかく浴びて映えていた。頂ではガスっていて、風が強くのんびりと寛ぐことはなかった。
NO55 1986.08.10 悪沢岳 前岳・中岳と経て踏んだ頂は、ただガスの中。でも、各人はおもいのままのポーズで頂をじっくりと味わっていた。
NO56 1986.09.13 火打山 高谷池・天狗の庭には、もう秋色が忍び寄っていた。火打の頂はガスの中だったが、柔らか味のある山で再訪したい山なり。
NO57 1986.09.14 妙高山 前夜の雨も上がっての歩きだったが、頂はガスが湧いていて、視界は焼山・火打が時折、愛すべき雨飾りはついに顔を覗かせてはくれなかった。下りは単調で燕までは心重い気分だった。
NO58 1986.10.11 会津駒ケ岳 前日は燃える七ケ岳から駒の山波を遠望したが、今日は朝からの激しい雨の中を登った。中腹以上は紅葉の明るい路。山頂では手の凍るほどの冷たさの中に、10分ほど佇んで去った。
雨の草紅葉を歩く
NO59 1986.11.02 皇海山 久しぶりに晴日の山行なり。早足で歩いてはいるのだが、コースタイムで終わっており、六林班峠からの下りではランプの歩きとなり、鹿も騒ぎ出す始末なり。頂からは初冠雪の至仏山・平ケ岳・燧岳・男体山・日光白根山・武尊山と恵まれた展望をのんびりと味わっていた。
NO60 1987.06.13 平ケ岳 空梅雨の間にと出かけてきたが、平っぺたな頂はガスに包まれていた。アプローチの長さの中で掴んだ湿原は、花の季には早くはあったが、残雪は豊富で、幻想の世界を見せてくれた。特に、この日は我々三人だけの世界で、百名山60の中でも初めてではなかろうか、それほど俗世間に染まってない山なり。
NO61 1987.07.30 塩見岳
塩見岳と
イブキジャコウソウ
ランプをつけて出発。本谷山では塩見の肩から昇る朝日を眺めて朝食をして、待望の頂には8時30分。360度のパノラマをむさぼって1時間半程のんびりと過ごすことが出来ました。
NO62 1987.08.21 安達太良山 高村光太郎の詩で知られる安達太良の山、詩情豊かな緑あふれるなだらかな女性的な山。その想いを吹き飛ばしてくれた山頂だった。砂つぶてが容赦なく吹き付け、体を浮き上がらせる風で迎えてくれた。アフターの「くろがね小屋」での寛ぎが慰めてくれた山だった。
奥岳のコスモストと娘
NO63 1987.08.22 磐梯山 昨日の安達太良からの磐梯山はガスに覆われていた。そのガスの中に、今日は立った。岩屑が細長く伸びた頂は濃いいガスが強く流れていて、ワインとビールで乾杯して、早々に下った。
NO64 1987.10.24 那須岳 那須岳は茶臼岳だけでは山の良さが判らないと思う。三斗小屋の湯に浸り、三本槍に立ってこそ、この山の味わいが「じーん」と伝わってくる、そんな山だった。
NO65 1987.11.21 恵那山 恵那山の頂を踏んだだけでなく、木の香も新しい小屋で、ダルマストーブに冷えた体を暖めて友と語った。そして霧氷の朝を迎えて、山全体が心豊かに迎えてくれた。
NO66 1988.08.05 聖岳 聖岳は近くではその姿を遂に見せてはくれず、ガスが濃く吹き抜ける頂だった。でも、途中ブロッケンや富士山を垣間見る事が出来た。翌日、茶臼岳から飽くことなく眺めていた。
NO67 1988.08.06 光岳 山の大きさではなく、周りのかもし出す雰囲気が光岳をキラリと輝かせているのだろう。それは、ゼンジケ原・イザルケ岳と光小屋だろう。
NO68 1988.08.27 早池峰山 今年のみちのくの山も晴れることはなく、厚い霧のベールに包まれていたが、心和む山だった。
NO69 1989.01.15 筑波山 杉木立の木漏れ日を拾い、小鳥の囀りを聴きながら男女の川水源を越えて出た鞍部からは、奥白根・男体山と思いがけずにも望むことが出来ました。
NO70 1989.05.03 鳥海山
巨大なエビのシッポ
視界ゼロのガスの中をトレールを拾いながらたどり着いた御浜小屋。夕にはガスが晴れて思いがけない展望にただただ感謝するのみ。残雪期の東北の山は初めてであったが、秋田駒と組み合わせての山行は70番目という区切りのある山として印象に残るもであった。
NO71 1989.07.30 空木岳 ガスが去来する71番目の百名山、ここは空木岳。今,太陽が射すと東川本谷のガスにブロッケンが現れた。天は青空も確かめられるが、稜線上のガスは切れることも知らず。頂上について1時間、静かだったここも賑やかになったので降りることにした。
NO72 1990.05.03 吾妻山 山スキーを履いては、初めての百名山である。飯豊・朝日・蔵王の山々もまだ豊かな残雪を抱いて輝き,磐梯・安達太良は黒く光って、欲しいままの展望を貪る事が出来た。降りは、新しいスロープを大きな斜面に描いて春山を堪能した。
NO73 1990.05.26 剣山 思いがけずした頂に立った。そんな感である。出張のバックの中にランニング道具を詰めて、帰路に立ち寄って登った。快晴にも恵まれて,落日・日の出を頂で静かに迎えて、山日記のペンも進んだ山行だった。
NO74 1990.07.22 旭岳 初めての北の山の百名山を踏んだ旭岳は、身体が吹き飛ばれそうな風雨の中だった。風を避けて握飯をほおばった。
NO75 1990.07.24 トムラウシ山 山に入って四日目、ようやく晴れた。旭岳〜忠別の歩いてきた連なりも姿をあらわしてくれ、歩くスピードも鈍くなり,交わす言葉も楽しく、頂ではリスともたわむれ遊んだ。
NO76 1990.07.26 羅臼岳 今回山行の一番期待の山もガスの中で、羅臼平からの安山岩の登りは生半可なものではなかった。
NO77 1990.07.27 斜里岳 羅臼は雲海の上に頭をのぞかせ、右手に太平洋,左手にオホーツク。振り返れば摩周湖と夏の光が燦燦と輝く頂だった。
NO78 1990.10.28 高妻山 前日の氷雨の中を歩いたかいがあって、頂は新雪を踏んで北アルプスの山々を飽くことなく眺め、頂を去るのが悲しいほどだった。
朝日に映える霧氷
NO79 1991.07.25 白山 霧と風に濡れての頂。北アから雲海に浮かぶあの加賀の白山のイメージは何処に行ったのだろう。
NO80 1991.07.26 荒島岳 静かな静かな我々三人の頂。薊の花が風に打たれる様が印象的だった。
NO81 1991.07.27 伊吹山 三日目もガスの中。しかも、頂は観光に毒されていてゴミが散乱して、今までの中で一番印象の悪い頂だった。
NO82 1991.08.09 岩木山 雲海に抜きん出た頂は心休まるものだった。我々家族三人のみが登山口から歩いて登ってきたのだという自己満足もあった。
NO83 1991.08.10 岩手山 頂まで長い長い道程だった。火口をぐるりと廻って又見上げた頂は、もうガスの中だった。
NO84 1992.03.20 丹沢山 雪で迎えてくれた丹沢山は、又、極上のビールの味を教えてくれた山だった。
NO85 1992.05.23 赤城山 躑躅には少し早くはあったが、皇海山・奥白根山・武尊山とおぼしき残雪を抱いた山々を眺めての語らいに、ついつい時間を持ちすぎてしまった頂だった。
本の巻末の白紙ページは、NO85赤城山で埋まってしまった。NO86からは直接、私の「白いノート」に書くことにしよう。
NO86 1992.08.08 月山 のびやかな草原,可憐な花々と残雪に迎えれての山だったが、三角点を踏む頃は、濃いミルク状の霧に包まれてしまっていた。
NO87 1992.08.10 蔵王山
お釜にて
銀世界の中、スキーで幾度となく滑り歩いた山であったが、緑に染まってのんびりと歩くのも良い山なり。
NO88 1992.10.03 浅間山 活火山のため登山禁止令が出ている山だが、最近のMAPには「本人の自由意思」と書かれており、友を誘ってやってきた。そこは、草紅葉の縞状絵模様が見事な山肌をつくり、火口はエネルギッシュに満ちた躍動感で、自然の美と力をまざまざと見せつけてくれた山だった。
NO89 1992.10.04 草津白根山 前夜の万座温泉での露天風呂と酒の勢いを借りて、万座登山口から歩いた。錦繍の登山路は我々のみが占領できて、頂では早朝より賑やかに宴をひろげてた紅葉に染まった山だった。
NO90 1992.11.01 焼岳 新雪の焼岳は、記念すべき90番目の山です。北アに幾度となく足を通わせて見つづけた山だったが、雪を踏んで頂に立つことが出来ました。残念ながらガスで視界ゼロですが、心は晴れています。夜は、小屋終いの焼岳小屋にて、友と二人で柔らかなストーブの温もりを受けて、ボトルを空けながら語り過ごしました。翌日は、見晴台から白銀の山々を時が経つのを忘れて飽きることなく眺めていました。
ホワイトの頂き