第一章   NO30〜NO50

30番目から「日本百名山」の本の裏の白紙に印象をメモしていたので、その記録からスタートです。写真はアルバムから組み込みました。懐かしいものばかりです。
NO30 1976.05.29 巻機山   今日という日がどうしょうもなく山へ誘った。まさに名山にふさわしく期待以上に私を待っていてくれた。
NO31 1976.08.01 飯豊山  初めての山へ向かう心の豊かさは無かった。 だからなのか、苦しい辛い登りであったがツエルトの一日と飯豊山から御西岳までの雄大さがやはりきて良かったと。山で読んだ本より「山の頂に立って何を誰に祈ろうと言うのか、太陽が星が自分を幸せを約束してくれるなどとはまだ一度も思ったことが無い」
NO32 1977.03.21 雲取山  三峰から雲取までと久しぶりの山歩きは心豊にしてくれた。
NO33
NO34
1978.12.31
1979.01.01
甲斐駒ケ岳
仙丈岳
 快晴に恵まれた楽しき山が、久しぶりに百名山を聞かせてくれた。
NO35 1979.07.201 甲武信岳  遅い梅雨明けでガスの中を友と二人黙々と歩きつづけた。
NO36 1979.07.21 金峰山
NO37 1980.08.29 苗場山  冷夏で山も八月の晴天は数日との事で、ガスと雨の山行となったが、山頂での苗田は想像していた以上に素晴らしくあった。翌日の赤湯温泉も楽しい楽しい夜でした。
鉈目会初期のメンバー
NO38 1981.04.18 瑞牆山 二年前の金峰の降りに眺めた奇岩の山に何となくきて何となく登った。
NO39 1981.05.01 至仏山 尾瀬へは四度目だが、今回初めての山行目的だった。
至仏はガスの中、燧は高曇の風の中、でも豊かな残雪の尾瀬を独り満喫した。
NO40 1981.05.02 燧岳
NO41 1982.06.27 武尊山  梅雨の合間を縫った山行だったが、台風5号で雨中山行となった。前武尊の頂でテントを張り、翌日剣が峰を経て頂を踏んだが、冷たい雨で手がしびれ山頂に留まったのは数分で上の原に降った。翌日の新聞では白馬で凍死一人、富士は降雪とのこと。
NO42 1982.07.17 越後駒ケ岳  一ヶ月以内に新しき頂を踏むことが出来うれしく、ガスの去来する頂は静かな静かな山だった。
NO43  1983.05.28 両神山   久しぶりに森の空気を心一杯に吸ってみませんか、チョッピリハードですが頭を使うより汗を流すほうが人間らしい」と誘って六人の仲間とやってきました。
NO44 1983.07.29 朝日山  遅い梅雨明け宣言の日が山発ちの日だった。山を降る日も豪雨だったが、朝日連峰の深さを心は味わうことが出来ただろう。再訪したい山なり。
NO45 1983.10.14 雨飾山  雨飾りならぬ紅飾りの山を歩くことが出来た。 頂から雄大な後立山・槍・穂高・戸隠・妙高・火打と飽くことなく眺め尽くし山の湯で快い疲れを癒した。
NO46 1984.05.01 奥白根山  霧が流れて木々は霧氷に飾られ美しい。避難小屋には数人の先客がいたのでテントを。翌朝、ガスの中をつめて頂に。太陽の輪郭が数度確かめられたただけで降った。
NO47 1984.07.20 北岳
九州在中のとき計画したが、直前君津転勤で泪を飲んでいた。16年ぶりの再計画で、NO2とNO5の頂を踏むことが出来た。
NO48 1984.07.20 間の岳
NO49 1984.08.24 八甲田山  だだっ広い頂は霧が流れて寒ささえ感じさせる。今最北端の頂に独りあり、ケルンに身を寄せて深く感激を味わっていた。
NO50  1984.08.25 八幡平  家族三人で初めての百名山は八幡平。三日目にしてようやく夏の陽が戻ってのんびりと歩くことが出来ました。
枯れ木に乗って遊ぶ
を歩き始めて25年で百名山の半分をやっと歩くことができた。1年に2山歩いたことになるが、後20年(63歳頃まで)しっかりと山を歩くとして、1年に2.5山を歩かないと百名山を達成できない。のんびりと新しき山・古き山を歩こう。  1984.8.26記