海外トレッキング         

数少ないトレッキングですがその度に何かが成長したような気が・・・
 
 NO13
2015年4月19日〜25日
   台湾/玉山(3952m)&雪山(3886m)

山としての魅力は全く感じられ無かった。富士山より高いが緯度が低く亜熱帯気候と雨量が多いためであろう、森林限界が高いからであろう。
下界での中華料理には大満足しました。
 
 12
2013年4月11日〜30日ゴーキョピーク登頂とゴジュンバ氷河展望トレッキング
 それは、4月23日ゴーキョピーク(5360m)登頂前日、ゴジュンバ氷河トレッキングを終えて昼食後から大大下痢に突然襲われて、夕食も当日の朝食はおろかこれまで十二分過ぎる位に摂っていた水分も取れなくなってしまった。
何故だ!、ヒマラヤの神の悪戯にしては酷すぎる。ここまで朝夕の血中酸素濃度・脈拍も体調も絶好調だったのに何故だ!天候も最高なのに、歩きはじめてゴーキョピークへの登りにかかると足がフラフラ、脱水状態で意識も朦朧としてくる。サーダーのアンチェリンから水を強制的に飲まされて、スタッフのラクバに背負われてロッジに戻る。途中、サーダーが[私は誰ですか、昨日は何処を歩きましたか、今日は何処まで戻りますか・・・」と私の意識を確かめながら付き添ってくれます。ロッジに戻ると、コックのテンバさんが付き添ってくれて、ここでも水を約1g近くを飲まされ酸素吸入される。別に酸素を吸ったからと言って楽になることもなく2時間を過ごして、気分を取り直して仲間が戻るのを外で待っていた。

 9人中6人が登頂を果たして疲労困憊の状態で戻ってきた。昼食もおかゆを少量口にしただけでルザまで下った。
 

ゴーキョピーク

タムセルクをバックに

トロンパス(5416m)にて
NO11
2011年4月21日〜5月10日:アンナプルナ山群一周トレッキング
 昨春に<ゴーキョピーク登頂とレンジョパス越え>のトレッキングを計画していたが、直腸癌手術で断念。今春に実行をとアトラスに申込んだが、参加希望者は自分一人で催行無し、但し「一人でも良かったら同料金で計画します」と言われたが、今の自分にはその勇気を持ち合わせていなかった。もう少し若かったら、病気もしていなかったらと思った。<アンナプルナ山群一周トレッキング>を見つけて参加。
 トロンパス越えでは大トラブルも発生しましたが、直に回復して無事越えることができましたが、やはり心残りは<ゴーキョピーク登頂とレンジョパス越え>です。
NO10
2008年3月Bhutan・チョモラリトレッキング

 ブータン、何と響きある夢のある名前だと思いませんか。海外トレッキングを始めてからいつかは訪れてみたいと思い続けていましたが、この度それが実現することが出来たのは「夢を抱くことは、夢は幻ではなく実現するためにあるものだと信じていたからでしょうか」のどかな自然の風景を見ながらゆっくり歩き、氷河の上にそびえるジョモラリ峰、ジュチダケなどの迫力ある山々を目の前に望に、独特ブータンの文化と触れあい、良き仲間に恵まれてたトレッキングでした。

コンコルディアからのK2
雪に見舞われたコンコルディアのテントです
NO9 
2006年7月 K2・バルトロ氷河トレッキンク25日間

 このトレッキングは期間が長く、アプローチが大変だとの認識で敬遠していましたが、昨年のフンザトレッキングでバルトロ氷河のスライドショーを見せられて、その場で来年は行くぞ!!と思ってやってきました。世界第2の高峰K2(8611)、ブロードピーク(8051)、ガシャブルムT(8068)、U(8035)の8000b峰4座を筆頭にカラコルムの豪勢なジャイアントを堪能してきました。体調もベストでした。
NO8 
2005年3月桃源郷フンザとラカポシ・パスー氷河トレッキング

 今まで夢と写真でしか見たことのない、目くるめく巨大な山塊が。地球の尾根といわれる大地のむきだしの骨格、カラコルムの重畳たる高峰の群が。
これが「白きたおやかな峰」北杜夫の書き出しであり、39年前強烈な印象を受けたのを今でも覚えていて、やってきました。
NO7 2003年3月 アンナプルナ・ダウラギリ・パノラマトレッキング
 こぶし山の会(熟年初心者登山教室OB)の仲間との楽しいトレッキングでした。
NO6 2002年1月  ACONCAGUA
 見事に敗退です。C2(5800m)から頂上へアタックは試みましたが6500m付近でC2へバックです。原因は入山三日目より現地食が全く口に合わず、体力が衰弱して歩くのに力が入りませんでした。これも高山病の一つでしょう。憔悴して山を去りました。
NO5 2001年5月 IslandPeak(6189m)
ヒマラヤの山へアイゼン・ピッケルを使って登るなんて夢また夢でした。ヒマラヤの山は、私の実力からしてトレッキング程度で大満足と思っていましたが無謀にも挑戦してしまいました。そしてピークに立つことが出来ました。最高の感激を味わうことが出来ました。
NO4 1994年12月キナバル(4095m)
なんとなく一週間前に決めて、やって来た。山は雨で、ビーチのほうが楽しかった。
NO3 1993年8月キリマンジャロ(5895m)
1974年ヒマラヤの大自然を歩いて、現代社会では得られない壮大な無駄と感動を味わい、人間の原点を見つけた感がした。帰国後、直ぐにキリマンジャロの誘いを受けたが金・心の余裕も無く、それ以来私の心にキリマンジャロが焼付いて憧れてやまない山となっていた。ようやく夢がかなった。
NO2 1990年3月ヒマラヤ アンナプルナ山域
 エベレスト街道を歩いてから15年の月日が過ぎていた。あの時の体験を娘にも味合わせたく、そして自分自身がリフレッシュするためにやって来た。DHAMPUS、そこにMACHHAPUCHHREが表現のしようのない大きさで立ち聳えているではないか。息の詰まるおもいでこの展望を飽くとなく眺めていた。
カラパタールにて NO1 1974年10月ヒマラヤ カラパタール(5545m)
 
僕の心の中には、あの白き神々の座の輝きと、現地の人の生活や異質な文化との触れ合い、そして純粋な目の輝きが焼きついて離れない。人間として生きるための一つの何かを掴んだと思った。