4.日本一の富士登山

初めて富士山に登ったのは19707月。この時は新宿から夜行列車でアルプスに向かっていたが超満員で横になれなく、大月で下車して富士山に向かった。眠くて登山道で横になって仮眠した記憶しか残ってない。

昨年2020年はコロナで富士登山禁止により30回目はお預けとなっていたが、小川さんが今年企画してくれて記念すべき30回目を実行することが出来た。

メンバーには先月の常念岳で健脚を証明した栗田さんに富士山は何十年振りという伊藤さんも参加してくれ強力な味方がサポートしてくれることになった。

・期日:2021821日〜22日 曇り

・メンバー:山田、小川、栗田、伊藤

・行程:21日;木更津南IC17:40=横浜青葉IC=御殿場IC=高鉢P21:00(仮眠)

 アクアライン連絡道からは富士山に丹沢の山々が夕日の中にシルエットで浮かんでいて、明日の登頂日の天候を約束してくれているようで、高鉢Pのテントの中で前祝して、車中とテントに分かれて仮眠。夜半トイレに起きたときは星も輝いていた。

・行程:22日;高鉢P5:30富士宮5合目登山口(2450m6:00…新7合目7:50…元祖7合目9:008合目10:109合目11:109.5合目11:50奥宮(3715m12:40/12:55…富士宮5合目16:10=御殿場IC=足利SA19:15=木更津南IC20:50

・行動時間:登り=6時間40分、下り=3時間15

※上記、行程時間は山田、栗田の2人、小川、伊藤は剣が峰まで登頂

・記録:5合目登山口で「検温・体調確認済み」の緑のバンドと\1,000「富士山協力証」のバッチをザックにつけて出発。山にガスカがまとわりついていて、景観は越前山に三浦・伊豆半島に相模湾・駿河湾に宝永山が時々ガスの流れの中に顔を見せるくらいで完全に裏切られた間です。花はミヤマオトコヨモギ・イワオウギ・ベニイタドリ・ヤマホタルブクロ・アキノキリンソウを確認できたくらいです。

 6合目を過ぎて間もなく身体が動かない異変が起こり岩に座り込んでしまった。登山道の横に窪地が溝状に伸びていてその中で催すと気分が良くなったがもう登る気力が完全に失せてしまっている。小川さんから車のキーを預かり戻って高校野球観戦して待とうと…、顔色も良くなったのでもう少し登ろうと言ってくれ新7合目まで歩いた。栗田さんも高山病?昨夜の仮眠不足?で常念のような元気が無いようで、小川・伊藤両氏は山頂に向かった。残った二人は重い足を元祖7合目に、老生としてはここから下山を決断することにしたが20分近く休んでいると歩ける気がして8合目に向かった。風は強く景観も無く、二人ともここで降ろうかと話していたが、栗田さんが「ここまで来たら上まで行きたいですね」の言葉に勇気づけられ上に進むことにした。抜かれっぱなしだったが、我々と同調するかのような遅い登山者も見られ数人は抜くようになってきた。9合目と9.5合目では休みも数分で先に進みます。小川さんから電話で「何処にいるの」「9.5合で今から奥宮に向かうよ」と答えると下山していたと思っていたのでびっくりしていた。小川さんが迎えに来てくれ、二人とも奥宮に時間を要したものの到着。伊藤さんは待っていてくれて4人そろって記念写真を撮って下山の途についた。

無事下山して、足利SAで汗を流しノンアルで乾杯して腹を満たして無事帰君することが出来ました。今回奥宮まで行けなかったら、一人で9月にでも30回再挑戦をと歩きながら考えていたのに、栗田さんからの一言で奥宮まで歩けたことに感謝です。しかし、もう高所登山は無理ということを痛感させられました。

★富士登山アレコレ

@富士登山競争(富士吉田市役所から山頂まで4.30以内)に1995年(54歳)初参加し4.43.1719964.58.3719974.33.37337秒オーバーで、もう少し頑張ればと言われたが、頑張ってこれだと怒ってた。19984.45.19、以降も4回参加したがいずれも8合目、6合目でリタイアしていた。

A海外トレッキングの高所対応のため高度順化で富士登山を行っていた。

Bその後は体力測定のため年一回日帰り登山をしていて、ベストは剣が峰まで2.55往復5.50で今回と比較すると往復で奥宮までの時間より短時間で歩いていた。

C海抜0b(田子ノ浦)〜剣が峰3776mまで鉈目会で歩いた。

D寄生火山<大きな火山の側面に付随して生じた小火山体>の宝永山、上二子山・下二子山、腰切塚、高鉢山、片蓋山、東白塚、西白塚、浅黄塚、桟敷山、下り山と11座を歩いていました。

E富士山一周106qを北口浅間神社起点に水平思考で二日間でランニング。

F2020は富士山に登れないので、4合目の奥庭〜精進湖まで下山コースを歩いたが、台風で道は荒れていてヘッデンを点けての歩きだった。