鎮魂の山旅・御巣鷹山に 
  日航ジャンボ機墜落事故 1985年(昭和60年)812日、乗員・乗客524人を乗せ、東京(羽田)から大阪(伊丹)に向かっていた日本航空123便(Boeing747)が群馬県多野郡上野村の御巣鷹山(御巣鷹の尾根)に墜落しました。

この事故で520名の尊い命が失われ、単独機としては史上最悪の航空機事故となり、また、4名の方が奇跡的に救出され驚いたことを思い出します。

墜落したJA8119は事故の7年前に、伊丹空港で離陸の際に機体後部を滑走路に接触させる「尻もち事故」をおこし、その際に機体後部の"圧力隔壁"を破損。その後、"圧力隔壁"を修理したボーイング社の修理ミスにより、飛行中に"圧力隔壁"が破損したため垂直尾翼を喪失、操縦不能に陥ったのが事故の原因とされています。しかし、この圧力隔壁破損説には疑問点も多く、真相は闇に包まれたままです。

いつか一度はお参りに行きたいと思っていて、昨年計画したが林道が冬季閉鎖で断念して33年目となる今年行ってみることにしました。今回訪れてみて、事故の悲惨さや遺族の悲しみを改めて感じられ、今日、安全に空の旅が楽しめるのも、過去の多くの犠牲とそこからの教訓、安全対策が重ねられた上にあります。

期日  20181013日〜14 
メンバー 山田、伊藤(勉)、小川、伊藤(直子) 
   御巣鷹山のスライドショー
 1013   金田IC5:20=下仁田IC8:209:20御巣鷹山登山口(1350)9:40…昇魂の碑(1470)10:10…尾根分岐(1900)11:15高天原山             (1979)12:00/12:30…尾根分岐13:10スゲノ沢頭(1922)13:20大蛇倉山(1962)13:45…尾根分岐14:35…昇魂の碑15:25…登山口15:50=南牧村/月形園16:40<行動時間:6時間10分>
 関越道から御荷鉾山・妙義山・浅間山・子持山がくっきりと眺められ、北方面の空は明るく雨予報は完全に裏切られて嬉しき限りです。奥神流湖の右岸のトンネルを幾つも抜けて高度を上げて御巣鷹山の駐車場に到着、56台駐車していて登山者の車かと思っていたが、お参りに来られている人たちのようで、昇魂の碑や墓標には生花が供えられていて、我々もお花を持ってくるべきだったと思ったが後の祭りでお参りだけして山に向かいました。

 御巣鷹尾根はあまり踏まれてなく急登でアキレス腱が悲鳴を上げていましたが、トップの小川さんは快調に引っ張てくれて、直子さん・勉ちゃんも快調、しんがりの山親爺は一生懸命に着いて行きます。期待した紅葉はガスが掛かっている性もあってかパーとしません。下山するかなり中年のおっさん一人と会います。

 登り切った尾根分岐から高天原山に向かいますが倒木が多く障害物競争で、山頂からは展望は無く、時折、ガスの切れ間から長野県側の川上村?か立ち並ぶビニールハウスが覗きます。尾根分岐に戻って反対側の大蛇倉山に、こちらも更に厳しい障害物競争となってなり、スゲノ沢の頭を越して大蛇倉山に。

 ガイドブックには南アルプス・奥秩父・御座山・浅間山・西上州の山々の大展望が得られるとのことだったが残念です。

 再度、尾根分岐に戻って落ち葉で滑る急坂を悲鳴をあげながら昇魂の碑に無事戻ることが出来、お礼のお参りをします。遭難者が刻まれた碑には‘大島(坂本)九ちゃんの名前もあり、彼の遺作の「心の瞳」ユーチューブで聞かれます。

 下山後、今日の宿の南牧村の月形園に。宿泊者は我々4人のみで、夕食には郷土料理の「おっきりこみ」鍋等々の田舎料理に舌鼓を打ち、アルコールも廻って早々に布団に潜り込みました。

 1014  月形園8:409:00下仁田/ほたる山公園9:20御岳山(576)10:10…公園10:50=下仁田道の駅11:10/11:40=下仁田IC12:00=金田IC14:1<行動時間:1時間30分> 
  南牧川のせせらぎか雨音かと気になっていたが、窓を放つと南牧中学校の奥の山にはガスが上がっていて、路面は濡れていたので、やはり雨も降っていたのだ。

 若いころはもっと美人だっただろう女将さんに見送られて今日の2座を目指して出発。1座目の御岳山の登山口のほたる公園に着くも登山口が判らなく、親子でサッカー遊びをしていた親御さんに聞きと、おしゃまな娘が教えてくれたが、10分強はウロウロした。山頂からは妙義山が間近に望め、眼下には下仁田の街並みが広がっていた。予定の時間より遅れていて、帰路の関越道の渋滞を避けたくて2座目の藤山は断念して、道の駅で「下仁田ネギ入りラーメン」を食して、渋滞も無く予定通り帰ることが出来ました。

 

 南牧村・上野村・下仁田にはまだまだ魅力的な山があるようで、2000座を目指して頑張ろう。