霧氷とダイヤモンド富士観賞に鍋割山に 
  2月山行は「霧氷が見られる山に行きたいなー」と荒船山・赤城山・道志の山等が候補に挙がっていたが、ネット情報で近場の鍋割山に決まって、計画書には「ダイヤモンド富士を眺め、鍋焼きうどんを食べて、宴会で霧氷(橋幸夫)を歌って観賞」という気象的にはダイヤモンド富士は好天、霧氷は霧の条件が必須で正反対の二つの虫の良い計画書が送信されてきて4人が集まった。
 期日  2018(H30)224日〜25
 メンバー  山田、吉島、伊藤、藤原
 224  木更津南IC5:25<中井PA>=大井松田IC7:057:30大倉(290m)8:00…見晴小屋9:05…花立山荘11:20…金冷シ11:50塔ノ岳(1491)12:15/13:05大丸13:40小丸14:20鍋割山(1272m)(山荘)15:00   <行動時間:7時間00分>
 225  鍋割山(山荘)7:35…後沢乗越8:30…林道終点8:5510:45大倉11:10=<夢庵>=秦野中井IC12:30=君津IC13:20
<行動時間:
3時間10分>
 鍋割山スライドショー
  出発は土曜日とあって車は多いものの渋滞もなく、中井PAで朝食を摂って大井松田ICを降りて大倉に。駐車場はほぼ満員に近く、バスが到着するとどっと登山者が吐き出されてくる。ほとんどが日帰りみたいですぐに出発しているが、我々は小屋泊まりなのでのんびりです。

 大倉から塔ノ岳までは標高差1200mあり所要時間は4時間+αと、最近の体調から見ると大変だと気を引き締めてかかることにする。このコースを登るのは4年振りで前回はソロで渋沢丘陵で2座稼いできてやってきていた。

 登り始めてからは追い抜かれるのみ、前からは既に山頂を踏んだのか続々と下山者もあり、トレイルランナーは身軽に駆け登っていて、3月に養老渓谷30qのトレランをエントリーしている身にとってうらやましき限りです。

 下山者に「花立山荘はまだですか」と聞きくと「まだまだ、この階段が続きます」と笑って答えてくれたが、本当に天国に続くような階段を延々と登って、登山者がたむろする山荘について「お腹が空いて力が入らない」と藤原さん、みんなここで行動食を口にしてエネルギーを補充しての再出発です。

 表尾根の三ノ塔から大山も見えていたのが、丹沢山〜蛭ケ岳の丹沢の主稜線も顔を見せる様になって金冷シの分岐に。雪がいくらか多くなってきたが木道歩きが続いて、高校生の軍団にピッタリと後に付かれるも、最後の意地を通して抜かすことなく山頂に到着です。 大倉から4時間15と抜かれた割にはほぼ予定通りで、他の連中が早いのだと慰める。

風も弱く、テーブルの上にジェットボイルで‘御汁粉’が出来る間に高級?ワインブランディが進んで、そのうちにホットワインも注がれます。最近コマーシャルPRのビール‘頂’を持参して雪で冷やしていたのも飲み頃になりました。

 鍋割山までの稜線は雪が凍結しているだろうと3人はアイゼンを締めましたが、金冷シを過ぎてから小生は外しましたが他の2人は小屋まで履き通していました。

 もっともっと雪道を歩けると期待していたのに残念でした。

 鍋割山稜に入ると登山者は鍋割山をピストンする人のみで静かな歩きを満喫できます。山荘に着くと宿泊者で賑わっているだろうと予想していたが、静かで今日の宿泊者は我々4人のみです。

 霞んでいた西方も夕刻になると富士山が望めるようになり、天然ショーがオープンし、待望のダイヤモンド富士を眺めつくしていました。

 満たされた心に、夕食は‘鍋焼きうどん’‘おでん’で正月のまだ残った〔こも樽〕の冷酒を添えて、小屋番のおじさんを交えて歓談が続きました。

 夜半は星も月も夜景も見えて、霧氷の気象条件には程遠く、霧氷は期待に応えてくれそうにないが、スマホの着信音でマススケートで高木菜那ちゃんが金メダルカーリング女子が銅メダルと嬉しいニュースを知りました。

 下山時には鍋割山への登山者と多数すれ違います。鍋割山荘で「鍋焼きうどん」を食べて下山する人が大半なのだろうと推測し、これで山荘の営業が成り立っているのだろうと納得した。ちなみに2004年のうどんの値段は¥900だったが、今は1000で、今日も小屋主他3人がうどんの食材をボッカしていました。

 林道に降ってから約2時間の林道歩きは長かったが、2004年に鍋割山を歩いていたが、表丹沢県民の森から小丸尾根コースだったとやっと理解できスッキリした。

 帰路の途中に昼飯に寄った{夢庵}は花粉症の巣窟で店に入ると急に目が強烈に痒くなり食事も美味しく感じることが出来なかったが、車中で東京マラソン結果で設楽悠太君が日本新記録とこれまたビックニュースでうれしくなった。