●「鼠径(そけい)」部とは、太もももしくは、足のつけねの部分のことをいい、「ヘルニア」とは、体の組織が正しい位置からはみ出した状態をいいます。「鼠径ヘルニア」とは、本来ならお腹の中にあるはずの腹膜や腸の一部が、多くの場合、鼠径部の筋膜の間から皮膚の下に出てくる下腹部の病気です。一般の方には「脱腸」と呼ばれている病気です。 ●鼠径ヘルニアのイメージ;鼠径ヘルニア(脱腸)は子供の病気と思われがちですが、むしろ成人に多く、手術以外、治療方法がありません。痛みも少なく短期入院で済む新しい手術方法が普及してきており、生活の質を考慮すれば、積極的に治療した方が良い病気です。 ●鼠径ヘルニアの症状;初期症状は、立った時とかお腹に力を入れた時に鼠径部の皮膚の下に腹膜や腸の一部などが出てきて柔らかいはれができますが、普通は指で押さえると引っ込みます。 太ももや足のつけね(鼠径部)に何か出てくる感じがあり、それがお腹の中から腸が脱出してくるので「脱腸」と呼ばれています。次第に小腸などの臓器が出てくるので不快感や痛みを伴ってきます。 はれが急に硬くなったり、膨れた部分が押さえても引っ込まなくなることがあり、お腹が痛くなったり吐いたりします。これをヘルニアのカントン(嵌頓)といい、急いで手術をしなければ、命にかかわることになります。 |
術後の創部(右) 上が胸、下が陰部 |
☆いきさつ; 4月頃から下腹部痛が3日に一度くらいの間隔で起こり時間的にも数十分程度だった。痛みが治まらないので 5/31玄々堂HPで消化器系にかかりCT・血液・尿検査。触診は無かった。 6/09玄々堂HP でCT診断結果では癌・炎症等は無く、年齢的に神経的なものかもしれないと言われた。仲間からは「お前は絶対そんなことが無い」と言われるがこう見えても意外と小心者で神経質です。思い当たるのは4月の水パトでかなり神経質になったのが要因かなーと思ったりもした。 今後の対応、@念のため大腸内視鏡 A痛くなったら痛み止めを服用 B漢方薬を1日3回1ヶ月飲んで体質改善効果を見る C何もしない の選択肢があるが、どれを選ぶかと問われてAを選んだ。医師も同じだと、2種類の痛み止めを処方してくれ、どちらが効くか1ヶ月様子見となった。 6/29 10qのシランニングをしてシャワーを浴びて下腹部を見ると腫れていたが、しばらく横になっていると治まったので病院に行くのは中止。 |
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7/01 玄々堂HPの外科で診療、医師が触診とCT画像を見て「鼠径ヘルニア」で早く手術した方が良いとのことだが消化器系の医師はCT画像診断ミスをしていたのだ。この時点で鼠径ヘルニアと診断だれていたらもっと早く手術できたのに。 入院は8/1、手術日2日、手術時間は約1時間、退院は1週間くらいとのことで入院手続きをして帰った。 この日はたまたま2日間アルコール断ちをしていたので夕食時の泡は最高でした。 それよりも夏山は7/30〜31に郷里ハイキングクラブで北八ヶ岳(北横岳・縞枯山)、8/11〜15に鉈目会で水晶岳〜読売新道を計画していてどうするか思案するところだ。(この山行は7/25頃山田家の別事情にて参加できないと吉ちゃん・勉ちゃん二人で実行を頼むも即中止しましょうとなったので他のメンバー3人にも中止の連絡とお詫びを行った。君津組で7月の鳥海山リベンジに決まったと聞いて一安心た。)8月下旬の北九州scrapとの北ア山行は山下・山田両家の事情で中止とした。 7/4「サカタの種」2回目就労は痛み止めをポケットの忍ばせていてが「下腹部の痛み」は感じず助かる。帰宅後シャワーを浴びると右下腹部は膨れている。ストレッチポールで背中を伸ばして休んだ。 7/08 玄々堂HPでオペ後の生活についてヒア。食事も歩きも翌日から可能で、ハイキング程度だったら1週間、ハードな山行だったら2週間後くらいかなーと言われた。オペまでに脱腸を抑える脱腸ベルトを大枚\9,200で購入した。 7/09 脱腸ベルトの効果確認のため高宕山を歩いたが効果は?で気休めみたいなり。 7/11,18,19とサカタ就業には脱腸ベルトをして就いたが痛みは感じなく助かる。 7/15は夏山トレーニングと称して4名で安房高山・請雨山も脱腸ベルト装着して快調に歩く。 7/22は粟又の滝ハイキングと夕刻より鉈目会メンバーでBBQも脱腸ベルト装着で問題なし。 7/24のサカタの種就業も脱腸ベルトをして就いたが痛みは特に感じないが膨れている。 7/30〜31 郷里ハイキングクラブの北八ヶ岳は予定通り歩き、帰宅は20:10. 7月ランニングは禁止、 ウォーキングに切り替え。約6qを10回、スマホで計測の時速は5.3〜5.5q/Hrでした。 |
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8月1日
10:00玄々堂HP入院。 部屋は奇しくも7年前の直腸癌手術の時と同じ310号室です。病室に案内されて卓球の石川佳純選手似の看護師から、今回の鼠径ヘルニア発症までの経緯のヒアを受け、術前及び術後のスケジュールを渡され注意事項の説明を受けるも、退院日は8月9日の予定となっているので、希望は5日ですと告げる。 検温・血圧・血中酸素濃度の測定とエコノミー症候群を調べると手の脈を測るように足首に手を当てて問題なし、「いい足してますね」と褒められた。 主治医から手術や麻酔について面談票で手術内容を図解で説明を受け、メッシュという人工物で補強するとのことでメッシュのサンプルも見せられた。 麻酔は腰椎麻酔で合併症等の説明もあって、同意書2枚にサイン。手術時間は麻酔処置を含めて二時間位とのこと。麻酔医師からはこれまでの病歴や現状の体調等のヒアリング。 午後になると陰部の毛を刈られます。76年の人生で4回目、1回目の7年前の時は自分の人格喪失したと落胆した記憶が蘇ります、このことを剃っている看護師に話すと笑いながら、そうですよねと(^_^)。その後シャワーを浴びて明日の手術に備えて清潔作業です。そうそう、以前陰嚢水腫入院時手術前夜、貧血で倒れて手術中止になっていて、夜中の小便は尿瓶にするように厳重に注意された |
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8月2日 手術日 6時に浣腸、即水便を看護師が確認してOKAY。その後、一度普通便が出たが、しぶり水便が数回と締まりがない。オペ室の目のパッチリした看護師が手術室説明書で主な流れの説明を受ける。特に麻酔時の姿勢ついて。 入室時間が近づいてストッキングをはいで歩いてオペ室13:30に。前室で看護師の名前の紹介と自分の名前とオペ名を言わされ、マニュアルにしたいくらいと褒められ入口のチカコとお別れです。緊張感をとろうと山の話等いろいろ話しかけられます。 麻酔医師は女性でマスクと帽子のため顔はよく分からないがキリリとした顔立ちだ。狭いベッドの上で背中を丸めて消毒・痛み止・麻酔が行われ、下半身から次第に感覚がなくなった。 主治医の佐藤医師ともう一人の男性医師と二人でオペが始まるが、会話は声小さく判らなかった。主治医から「無事終わりました」と告げられて、麻酔・手術時間は一時間強だった。モニターの心拍数は60、Spo2は98前後で推移していたようだ。 一人の若い看護師から「君津には山があるのですか、名前は」と聞かれて「高宕山」を推奨すると「調べて行ってきます」と言ったが本当かなー。退室する時に看護師のみんなから「早く元気になって山に行って下さい」とキャリアーベッドからハイタッチしてオペ室を15:30退出した。 今晩一晩はナースセンターの前の部屋で監視される。麻酔が消えはじめると創部が痛く痛止め点滴を。しかし麻酔が消えてくると頭痛吐き気等が出るので頭は動かせない。これが辛く眠れない。死んだ方がましだと思って朝を迎えた。 |
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8月3日手術後1日目 ここで事件発生、トイレに行くと便が赤黒い、看護師を呼ぶと写真を撮り、主治医からCT・腹部のレントゲン撮影・血液検査の指示が即出て、結果は腸の異常はなく、肛門検査が万華鏡みたいなので行われ、環境も変わって痔とのことで薬を処方され一件落着です。しかし、食事は取り消されてもう一日点滴です。 創部はベッドで横になっている限りは痛くないが、ベッドからの昇降時には周りに皮膚が引っ張られて痛い痛い。看護師からは歩いた方が良いと進められて点滴に小便袋を下げて歩いた。 |
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8月4日手術後2日目 朝便を看護師に見てもらうと大丈夫ですと太鼓判をもらう。夜勤の若い看護師から「大便の異常よくわかりましたね」と聞かれたので「毎回見ているから」と返事すると、彼女も「私も毎回見ています、これって大事ですよね」と恥ずかしそうに笑っていた。 心電計・SpO2・血圧計の自動センサーに尿管(約20pも入っている)も外され、主治医も「術跡は綺麗です、便もよくなったようですね」と。体温も37.1℃位まで上昇して3日夜は氷枕で寝たが、今日は平熱の35.8℃に戻っていた。午後には5日11:00退院許可が下りた。 夕にはベッドからの昇降もかなり楽になってきた。が、懸念したことが起こり始めた。過去2回の入院で何故か痛風が発生した。病院ではアルコール禁止で盗み飲みなんかしていないにも関わらず起こっている。前に、痛風持ちの人は、手術・点滴等で身体の環境変化に尿酸値が変動して発作が起こると言われていた。手術前日から水分摂取ゼロ、その後も点滴だけで身体からの尿排出量が少なく尿酸が蓄積されろからではないかと思っている。 孫たちが病院に見舞いに来たが談話室まで歩くのにも右足が痛い。 |
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8月5日手術後3日目 退院 病院での食事は8回摂ったが、自分の口には全く合わなく半分は残していた、栄養科のみなさんゴメンナサイネ。退院前の検温・血圧測定・腸の検診異常なし、創部も綺麗、便も出ていると報告してお墨付きをもらい、痛止めを処方され、血液検査で腎機能が低下していると(前から分かっている)8日に外来腎臓内科、手術後の経過は9月1日に来るようにと予約票を渡された。 @ 腹圧のかかる仕事や激しいスポーツ、重いものを持つこと、自転車に乗ること、少しの段差でもジャンプしないように。 A 起き上がるときは、腹圧がかからないよう横向きになって起きる等の工夫を B 食事は特に制限ないが、便秘にならないようにバランスの良い食事を。 C 咳やくしゃみをすると腹圧がかかるので、その時はお腹に手を当てて腹圧のかからない工夫を。 D 創部が赤くなったり痛みや熱がある場合は、再発の徴候等心配があるときは早めの受診を。 E 入浴許可は9日から、それまでは創部が水がかからないように洗髪・体拭きを。 入院中テレビは見なく、スマホとラジオと新聞で情報を取り込んでいたので、帰宅後のテレビは懐かしかった。痛風は左足膝にも出てきて、動くのも辛く、この日は何かをする気力もなく椅子に座っての我慢の日だった。 |
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8月6日 パソコンに向かって7月末の山行記録を整理しHPをアップ、空白の日記帳も埋め込む。左足膝がさらに酷くなってきたので手持ちの特効薬を飲み始めて7日月曜日にはかなり回復したようです。 |
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ネットで日帰り手術の病院もあるとあったので、術後は10日もすれば山を歩けるかと甘く見ていた。反省大です。痛風も和らいできたので様子を見て高宕山くらい行きたいです。 ※今回の記録は忘れないようにスマホに書き込んでPCに送っていたのを繋ぎ合わせて修正しました。 AUG.07.2017 Mutsuo Y |
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鼠径ヘルニアドキュメント ●「鼠径(そけい)」部とは、太もももしくは、足のつけねの部分のことをいい、「ヘルニア」とは、体の組織が正しい位置からはみ出した状態をいいます。「鼠径ヘルニア」とは、本来ならお腹の中にあるはずの腹膜や腸の一部が、多くの場合、鼠径部の筋膜の間から皮膚の下に出てくる下腹部の病気です。一般の方には「脱腸」と呼ばれている病気です。 ●鼠径ヘルニアのイメージ;鼠径ヘルニア(脱腸)は子供の病気と思われがちですが、むしろ成人に多く、手術以外、治療方法がありません。痛みも少なく短期入院で済む新しい手術方法が普及してきており、生活の質を考慮すれば、積極的に治療した方が良い病気です。 ●鼠径ヘルニアの症状;初期症状は、立った時とかお腹に力を入れた時に鼠径部の皮膚の下に腹膜や腸の一部などが出てきて柔らかいはれができますが、普通は指で押さえると引っ込みます。 太ももや足のつけね(鼠径部)に何か出てくる感じがあり、それがお腹の中から腸が脱出してくるので「脱腸」と呼ばれています。次第に小腸などの臓器が出てくるので不快感や痛みを伴ってきます。 はれが急に硬くなったり、膨れた部分が押さえても引っ込まなくなることがあり、お腹が痛くなったり吐いたりします。これをヘルニアのカントン(嵌頓)といい、急いで手術をしなければ、命にかかわることになります。 ☆いきさつ;4月頃から下腹部痛が3日に一度くらいの間隔で起こり時間的にも数十分程度だった。痛みが治まらないので 5/23君津サンクリニックに。盲腸ではないと言われて、腹部X線結果では異状なしとのことで、7年前に直腸癌手術を玄々堂HPで行っていて、消化器系を紹介される。 5/31玄々堂HPで消化器系にかかりCT・血液・尿検査。触診は無かった。 6/09玄々堂HP
でCT診断結果では癌・炎症等は無く、年齢的に神経的なものかもしれないと言われた。仲間からは「お前は絶対そんなことが無い」と言われるがこう見えても意外と小心者で神経質です。思い当たるのは4月の水パトでかなり神経質になったのが要因かなーと思ったりもした。 今後の対応、@念のため大腸内視鏡 A痛くなったら痛み止めを服用 B漢方薬を1日3回1ヶ月飲んで体質改善効果を見る C何もしない の選択肢があるが、どれを選ぶかと問われてAを選んだ。医師も同じだと、2種類の痛み止めを処方してくれ、どちらが効くか1ヶ月様子見となった。 6/29 10qのシランニングをしてシャワーを浴びて下腹部を見ると腫れていたが、しばらく横になっていると治まったので病院に行くのは中止。 6/30 「サカタの種」初就労(8:10〜15:10)は草取りがメインで全身汗して労働した充実感を味わってたが下腹部の痛みを感じていた。帰宅後シャワー中に右下腹部をみると膨れていて以前通院していたナカノクリニックに行くと即「鼠径ヘルニア」とのこと。4月から右下腹部の痛みが断続的に起こっていたのはこれだったのだ。狭い隙間から出るので圧迫されて痛くなるとのことで納得。 手術しかなく玄々堂HPに行くようにとメモを渡される。この手術は易しく研修医がするレベルだと言っていた。 7/01 玄々堂HPの外科で診療、医師が触診とCT画像を見て「鼠径ヘルニア」で早く手術した方が良いとのことだが消化器系の医師はCT画像診断ミスをしていたのだ。この時点で鼠径ヘルニアと診断だれていたらもっと早く手術できたのに。 入院は8/1、手術日2日、手術時間は約1時間、退院は1週間くらいとのことで入院手続きをして帰った。 この日はたまたま2日間アルコール断ちをしていたので夕食時の泡は最高でした。 それよりも夏山は7/30〜31に郷里ハイキングクラブで北八ヶ岳(北横岳・縞枯山)、8/11〜15に鉈目会で水晶岳〜読売新道を計画していてどうするか思案するところだ。(この山行は7/25頃山田家の別事情にて参加できないと吉ちゃん・勉ちゃん二人で実行を頼むも即中止しましょうとなったので他のメンバー3人にも中止の連絡とお詫びを行った。君津組で7月の鳥海山リベンジに決まったと聞いた。)8月下旬の北九州scrapとの北ア山行は山下・山田両家の事情で中止とした。 「サカタの種」2回目就労は7/4痛み止めをポケットの忍ばせていてが「下腹部の痛み」は感じず助かる。帰宅後シャワーを浴びると右下腹部は膨れている。ストレッチポールで背中を伸ばして休んだ。 7/08 玄々堂HPでオペ後の生活についてヒア。食事も歩きも翌日から可能で、ハイキング程度だったら1週間、ハードな山行だったら2週間後くらいかなーと言われた。オペまでに脱腸を抑える脱腸ベルトを大枚\9,200で購入した。 7/09 脱腸ベルトの効果確認のため高宕山を歩いたが効果は?で気休めみたいなり。 7/11,18,19とサカタ就業には脱腸ベルトをして就いたが痛みは感じなく助かる。 7/15は夏山トレーニングと称して4名で安房高山・請雨山も脱腸ベルト装着して歩く。 7/22は粟又の滝ハイキングと夕刻より鉈目会メンバーでBBQも脱腸ベルト装着で問題なし。 7/24のサカタの種就業も脱腸ベルトをして就いたが痛みは特に感じないが膨れている。 7/30〜31 郷里ハイキングクラブの北八ヶ岳(北横岳・縞枯山)は予定通り歩いた。 7月はランニング禁止、ウォーキングに切り替え。約6qを10回、スマホの時速計測では5.3〜5.5q/Hrだった。 8月1日
10:00玄々堂HP入院。 部屋は奇しくも7年前の直腸癌手術の時と同じ310号室です。病室に案内されて卓球の石川佳純選手似の看護師から、今回の鼠径ヘルニア発症までの経緯のヒアを受け、術前及び術後のスケジュールを渡され注意事項の説明を受けるも、退院日は8月9日の予定となっているので、希望は5日ですと告げる。 検温・血圧・血中酸素濃度の測定とエコノミー症候群を調べると手の脈を測るように足首に手を当てて問題なし、「いい足してますね」と褒められた。 後日入院診療計画書を渡される。 主治医から手術や麻酔について面談票で手術内容を図解で説明を受け、メッシュという人工物で補強するとのことでメッシュのサンプルも見せられた。 麻酔は腰椎麻酔で合併症等の説明もあって、同意書2枚にサイン。手術時間は麻酔処置を含めて二時間位とのこと。麻酔医師からはこれまでの病歴や現状の体調等のヒアリング。 午後になると陰部の毛を刈られます。76年の人生で4回目、1回目の7年前の時は自分の人格喪失したと落胆した記憶が蘇ります、このことを剃っている看護師に話すと笑いながら、そうですよねと(^_^)。その後シャワーを浴びて明日の手術に備えて清潔作業です。そうそう、以前陰嚢水腫入院時手術前夜、貧血で倒れて手術中止になっていて、夜中の小便は尿瓶にするように厳重に注意された 8月2日 手術日 6時に浣腸、即水便を看護師が確認してOKAY。その後、一度普通便が出たが、しぶり水便が数回と締まりがない。オペ室の目のパッチリした看護師が手術室説明書で主な流れの説明を受ける。特に麻酔時の姿勢ついて。 入室時間が近づいてストッキングをはいで歩いてオペ室13:30に。前室で看護師の名前の紹介と自分の名前とオペ名を言わされ、マニュアルにしたいくらいと褒められ入口のチカコとお別れです。緊張感をとろうと山の話等いろいろ話しかけられます。 麻酔医師は女性でマスクと帽子のため顔はよく分からないがキリリとした顔立ちだ。狭いベッドの上で背中を丸めて消毒・痛み止・麻酔が行われ、下半身から次第に感覚がなくなった。 主治医の佐藤医師ともう一人の男性医師と二人でオペが始まるが、会話は声小さく判らなかった。主治医から「無事終わりました」と告げられて、麻酔・手術時間は一時間強だった。モニターの心拍数は60、Spo2は98前後で推移していたようだ。 オペ後レントゲン撮影して終わりです。一人の若い看護師から「君津には山があるのですか、名前は」と聞かれて「高宕山」を推奨すると「調べて行ってきます」と言ったが本当かなー。退室する時に看護師のみんなから「早く元気になって山に行って下さい」とキャリアーベッドからハイタッチしてオペ室を15:30退出した。 今晩一晩はナースセンターの前の部屋で監視される。麻酔が消えはじめると創部が痛く痛止め点滴を。しかし麻酔が消えてくると頭痛吐き気等が出るので頭は動かせない。これが辛く眠れない。死んだ方がましだと思って朝を迎えた。 点滴に創部化膿防止目的の抗生剤も入ります。 尿菅が通されていて、小便は意識とは関係なく出ていくが量が少ないと点滴が一つ追加されたようです。 8月3日手術後1日目 ここで事件発生、トイレに行くと便が赤黒い、看護師を呼ぶと写真を撮り、主治医からCT・腹部のレントゲン撮影・血液検査の指示が即出て、結果は腸の異常はなく、肛門検査が万華鏡みたいなので行われ、環境も変わって痔とのことで薬を処方され一件落着です。しかし、食事は取り消されてもう一日点滴だそうです。 創部はベッドで横になっている限りは痛くないが、ベッドからの昇降時には周りに皮膚が引っ張られて痛い痛い。看護師からは歩いた方が良いと進められて点滴に小便袋を下げて歩いた。 8月4日手術後2日目 朝便を看護師に見てもらうと大丈夫ですと太鼓判をもらう。夜勤の若い看護師から「大便の異常よくわかりましたね」と聞かれたので「毎回見ているから」と返事すると、彼女も「私も毎回見ています、これって大事ですよね」と恥ずかしそうに笑っていた。 心電計・SpO2・血圧計の自動センサーに尿管(約20pも入っている)も外され、主治医も「術跡は綺麗です、便もよくなったようですね」と。体温も37.1℃位まで上昇して3日夜は氷枕で寝たが、今日は平熱の35.8℃に戻っていた。午後には5日11:00退院許可が下りた。 夕にはベッドからの昇降もかなり楽になってきた。が、懸念したことが起こり始めた。過去2回の入院で何故か痛風が発生した。病院ではアルコール禁止で盗み飲みなんかしていないにも関わらず起こっている。前に、痛風持ちの人は、手術・点滴等で身体の環境変化に尿酸値が変動して発作が起こると言われていた。手術前日から水分摂取ゼロ、その後も点滴だけで身体からの尿排出量が少なく尿酸が蓄積されろからではないかと思っている。 孫たちが病院に見舞いに来たが談話室まで歩くのにも右足が痛い。 8月5日手術後3日目 退院 病院での食事は8回摂ったが、自分の口には全く合わなく半分は残していた、栄養科のみなさんゴメンナサイネ。退院前の検温・血圧測定・腸の検診異常なし、創部も綺麗、便も出ていると報告してお墨付きをもらい、痛止めを処方され、血液検査で腎機能が低下していると(前から分かっている)8日に外来腎臓内科、手術後の経過は9月1日に来るようにと予約票を渡された。 退院後の注意事項書をもらって退院会計を済ませた。 入院中テレビは見なく、スマホとラジオと新聞で情報を取り込んでいたので、帰宅後のテレビは懐かしかった。痛風は左足膝にも出てきて、動くのも辛く、この日は何かをする気力もなく椅子に座っての我慢の日だった。 8月6日 パソコンに向かって7月末の山行記録を整理しHPをアップ、空白の日記帳も埋め込む。左足膝がさらに酷くなってきたので手持ちの特効薬を飲み始めて7日月曜日にはかなり回復したようです。 退院1ヶ月くらいは再発防止のため @
腹圧のかかる仕事や激しいスポーツ、重いものを持つこと、自転車に乗ること、少しの段差でもジャンプしないように。 A
起き上がるときは、腹圧がかからないよう横向きになって起きる等の工夫を B
食事は特に制限ないが、便秘にならないようにバランスの良い食事を。 C
咳やくしゃみをすると腹圧がかかるので、その時はお腹に手を当てて腹圧のかからない工夫を。 D
創部が赤くなったり痛みや熱がある場合は、再発の徴候等心配があるときは早めの受診を。 E
入浴許可は9日から、それまでは創部が水がかからないように洗髪・体拭きを。 ネットが張ってあるところが創部です。 8月8日 入院中の血液検査から腎臓が悪いからと、退院時に腎臓内科を受診するよう予約票をもらっていたので受診。 ※ナカノクリニックでもクレアチニンが高く腎臓が悪いと指摘されてはいるが特に治療方法等は何も処方されていない。過去のクレアチニンの推移をみると1997年から基準値を超えて現在に至っているからもう20年もこの状態が続いているのです。 CT画像を見ながら、「右腎臓が小さくなっていてほとんど機能していないが、特に現時点での処置をする必要が無い」とのこと。2002年に〔右腎臓泡〕と診断されたことがあって、特に治療した記憶もなく2004年には消えていたが右腎臓萎縮と診断されていたので、この時からからなのでしょうか。次回は来年の2月くらいに受診してくださいとのことで一安心です。 退院後は日常的に行っていた青竹踏み・スクワット・腹筋・体幹トレ・スプリングステッパー等は完全に止めて、9日からウォーキンクを毎日4〜6qを時速5.2q前後で行い創部の状態を観察しますが、特に出血も痛みもなく過ごせます。8月累計87qでした。 山にはウォーキングの延長で高宕山に3回、奥多摩に1回出かけてきたがこれも特に異常は感じなかった。 8月18日 ナカノクリニック受診(コレステロール・尿酸の薬)した際に、手術の内容と経過に腎臓内科受診の報告を行った。 ☆退院後、女房が入院した時、病室で麻酔科の医師とあったときに「いろいろな手術をした後に山にいつから登れるかなんて想定したことが無いのでアドバイスが難しいですね」と、どうも医師は山登りのイメージは重いザックを担いで身体には結構ダメージを持つものだという印象しか持っていないようでしたので「山を歩いています」とは言わなかった。 9月1日 術後1か月後で初めての診察です。鼠径ヘルニア手術位ではこんなものなのでしょうか?医師から状況をヒアされて創部を見て「以前の生活状態に戻ってもう大丈夫ですね、創部の硬いところが左の箇所と同じくらい柔らかになるのは半年から1年はかかります」と言われた。 自分的にはこれで無罪放免と判断して、中止していた身体を動かすことを再開しよう。 今回のコスト:入院費=¥27,820、検査等受診費=\20,680 Tot=¥48,500 保険受給=¥33,000 で差引 マイナス¥15,500 と大赤字となりました。 |