『喜寿の賀』で帰省のついでの山歩き 
 我が町の郷里「北九州市八幡区木屋瀬町」では古くから、四十四賀、四十九賀、還暦賀、古希賀、と通過年齢儀礼を祝う習わしがあって、今年は数え歳77歳の喜寿の賀の案内がきた。小生は早まれなので1年早いお祝いとなる。

これにかこつけてまだ登ってない山を織り込んでSCRAP仲間に連絡してサポートを頼んだ。梅雨まっただ中で雨を心配したが、幸いにも降られることなく晴れ男の面目は保たれた。

 日程  2016623日(木)〜27日(月)
 喜寿の賀にかこつけた山と諸々のスライドショー
 623  君津BT6:08=羽田AP7:40=北九州空港9:20=三角山登山口11:55三角山(194)12:05…登山口12:1012:20風師山登山口12:50風師山(362)13:10矢筈山(266)13:45…小森江14:25==小倉居酒屋/ぱんち松吾郎18:3021:30=山下一男君宅(泊) 
 北九州空港に一男君が迎えに来てくれ、戸の上山(517m)の登山口を探すのに手間取ったので諦めて風師山登山口にあたる清滝公園を目指す、も、これも難産でようやく見つけた。彼は風師山登山口まで車で登れるとのことで進み、途中三角山のことを地元の人に聞くと「蛇が出る、夏草が生い茂って登れない」これは先の戸の上山登山口を聞いたときも同じ言葉が返ってきた。北九州男は軟弱だ!

 諦めて車を走らせていると、三角山に通じるであろう道を見つけて以外にも簡単に登れた。風師山登山口で関門海峡を見下ろしながら一男君の奥様/英子さんの手造り弁当をいただいて風師山へと。途中目の前を猪が猛ダッシュで横切ったのには肝をつぶした。三角点はカヤトが生い茂った中に鎮座していた。

 矢筈山へは灌木林の中を進み、やがて大きな道に出た。これは明治時代から要塞が作られたときの道らしく「明治36年何某の」コンクリート杭が数本あった。山頂も頑丈な石垣があって、今はキャンプ場施設があって夏休みは賑わうのだろう。

 「オリンピックの身代金」というロケがあったとのことで古びたポスターが沢山貼られていた。小森江に下るからと一男君に車を回してもらうようお願いして下ったが、地元の散歩コースらしく手ぶらで歩く人を多く見かけた。

 一男君と合流して彼の家でシャワーを浴びて、小倉での八工・金属科プチ同窓会ということで5人で飲み語った。今日は一男君宅で泊まりです。だが、彼の娘さんが710日ごろ出産予定だったのが、今朝から陣痛が始まったと彼に連絡あり英子さんが病院に。「女の子が生まれました」と遅く帰宅されたが、大変な時にお邪魔したものだ。4人目のお孫さん、おめでとうございます。

 624   一男君=高橋君=建三君=坂野君「Scrap懇親会」16:3018:00=福津市居酒屋/ぢどり屋18:3021:30=西鉄イン黒崎()2300
 今回帰省の目的の一つに坂野君との2年ぶりの再会です。彼の自宅で会うように段取りしてくれて、その前に鉈目会の八幡在住の友教さんに会い、SCRAPの高橋君・山下建三君を迎えに行って奥方達とも久方ぶりの会話を楽しんで坂野君宅に向かいました。昔の山の話に彼も乗ってきて楽しく会話も進んで、再会を約して1時間半ほどでお暇して、帰路に居酒屋によって寄って帰りました。

一男君昨日からドライバーありがとうございます。そんな中、黒崎で彼と別れたあと車の中に地図等の忘れ物していて、疲れた中戻ってきてくれました。

 明日の背振山系西部の山歩きは建三君と博多から永井ちゃん・山本さんに上川さんも同行してくれる予定だったが、雨予報80%に永井ちゃんの体調不良とのメールもあったので博多組には中止しますと連絡し、建三君と二人で行くことにした。

 625   黒崎6:27=博多7:28=筑前前原8:06=つばき橋8:50…荒川分岐9:40女岳(748)10:00…荒谷峠10:25浮嶽805)11:45/12:00…白木峠13:20十坊山(635)14:10/14:20…登山口15:15…まむしの湯15:20/16:45=福吉17:02=博多18:02XXX居酒屋」21:30=黒崎=(タクシー)=実家23:00ごろ()
 建三君は折尾駅から乗車して筑前前原に。小雨が降っていて二丈岳はパスして女岳から登ることにして‘つばき橋’までタクシーで入ります。

 歩き始めると雨は止んで雨具は不要です。登山道には道標がしっかりとして迷うようなところもなく、頂上近くになると大きな岩がゴロゴロと出現してやがて女岳山頂に。海側の展望良しとあったがガスで視界は全くありません。

 荒れた急坂を下っていくとバイクの音が、荒谷峠にはアスファルト道路が横断していて、目の前の浮嶽はガスの中です。深い草付きの登山道をかき分けていくと、直ぐに杉林の中をくねくねと登りながら進み赤い鳥居が出てくると頂も近いとのこと。何故なら、建三君は唐津出身で小学校の時に浮嶽と十坊山には遠足で登ったとのことで、60数年ぶりの山との再会で記憶が蘇ってくるようです。

 浮嶽山頂もガスの中、浮嶽神社上宮に先ずはお参りしていると雨脚が突然強くなってきて、社務所の中に雨宿りして立ったままで昼食します。

 ここで博多組に「浮嶽からです」とメールすると、「博多駅で待ってます」と返事が来たので時間は下山したまむし温泉から再度メールすることにした。

 白木峠への下りで一か所不確かな箇所があったが間違うことなく正しいルートを下った。浮嶽までは道標がうるさいくらいにあったが、白木峠への下りにはあまりなかった。下から人の声がする…登山者かなーと思っていたら、それはゴルフ場からのプレイヤーの声だった。

白木峠にはR147が通っていて結構自動車の往来があるのだ。

 ピークに登ったのでここが十坊山の山頂かなと思ったが何の標識もなく、その先の道を上り詰めるとここにも岩がゴロゴロしていてその先に大きな岩がガスの中に浮かんできた。

 ここが十坊山(トンボヤマ)と呼ぶらしく坊主のような岩が幾つもあることからの呼称かなーと勝手に思った。建三君の話では「学校に行くときに寒いなーと思う冬の朝には、このてっぺんが白く雪が積もっていた」と話してくれた。

 昔、SCRAPと歩いた山の回想を語りながら二人の山歩きは青春時代に戻って、心豊かにしてくれます。

 ガスは幾分薄れてきて、二丈岳・女岳に浮嶽も確かめられ、唐津の虹ノ松原に鏡山に玄界灘も見えてくるようになった。

 オカトラノウの花が咲く山頂を後に無事中村口についてまむしの湯に{その昔、僧空海(平安時代初期800840年頃)が諸国行脚の折、この『ふくよし』の地で、まむしに咬まれ苦しんでいる人を見て、霊力により薬水を湧き出させたと言ういわれが語り継がれているそうです。}

 福吉駅までの無料送迎バス1645を予約して、温泉上がりには‘おやじセット’<生ビール・枝豆に鳥の唐揚げ>を注文するも唐揚げはジョッキが空になるころにようやく出てきてバスの時刻も迫っていたのでバスの中に持ち込んで食べた。

 博多組(永井ちゃん・山本さん)とは筑紫口側の出口で待ち合わせして、居酒屋で山トークに花が咲いた。「奥秩父の山を歩きたい」の要望も出ていたような気がする。二人とは博多駅でサヨナラして、JRで建三君は折尾で下車、小生は黒崎で下車して実家までタクシーで帰った。

 626  須賀神社神事10:3011:30=芦屋‘千畳敷’祝宴13:0016:00=木屋瀬二次会17:0019:00…実家() 
 今日が帰省の本番の「喜寿の賀」です。須賀神社集合で懐かしい顔々です。小中学校の同期で「辰巳会」と称して毎年11月第3日曜日に同窓会が催されているが遠方のわが身としては3年ぶりに参加です。

 神社で神事が執り行われ、神主さんの「かけまくもかしこき もろかみたちのひろまえに かしこみかしこみももうさく…」に神妙に聞き入って、遠方から来ているとのことで代表で玉串を奉げお神酒をいただいた。

 記念写真を撮って、芦屋の「千畳敷」という高級な?割烹で祝宴。話し込んでいるうちに爺さん婆さんの顔が小中学校時代に戻っていくのです。不思議なものです。四十四賀の時は80数名だったのが喜寿の賀では36名(内女性23名)と半分以下の集まりとは少し寂しいもので、この辰巳会も今回が最後とのことであるが、幹事を代わって何らかの形で残そうとの話が二次会で出ていました。こういう会があると帰省の口実ができて九州の山にも登れるのにと思った。

 カラオケ二次会で「睦ちゃん、ラーメン食べな」と、これは芦屋に向かうバスで「23日に九州に帰ったがまだラーメン・チャンポン・うどんを食べてないよ」と話したのを、一番ガキ大将だった幸ちゃんが覚えていて注文してくれたのです。嬉しいものです。

 627  実家で兄妹より=北九州空港16:30=羽田18:10/18:50=君津BT19:25 
 実家に帰ったときは兄妹寄りを外で行ってきたが、弟が胃の手術をしたばかりで、飲食はできないとのことで料理を取って実家で行った。

 上の妹1人を除いた3人はそれなりの大病をしてきたが、まだまだ大丈夫のようです。この5日間飽食の時を過ごしたので、これからの体調管理が大変です。

 今回6座を稼いで、累計1560。目標は大きく2000と法螺を吹いている。