春浅き忍野地区の山に
鹿留山・楢尾山・加瀬山・高指山
  山中湖周辺の山でまだ歩いていない山から鹿留山・楢尾山・加瀬山に高指山の計画書を作成し4月に実行をと考えていた。4月に入って天候は安定せず1920日が全国的に晴れ予報なので実行に移すことにした。
 1日目は3座歩いて車中泊とし2日目に高指山を歩くことで装備・食糧も準備した。
 期日;2016419日(火)
 メンバー;山田睦男(単独)
 自宅4:30=君津IC==横浜町田IC==御殿場IC=山中湖IC=雨乞山分岐7:20/7:40…立ノ塚峠8:15…子の神9:35鹿留山(1632m)9:50…立ノ塚峠10:55楢尾山(1252m)11:25加瀬山(1275m)12:00…立ノ塚峠12:20…雨乞山分岐12:40/13:00=石割の湯13:20高指山(1174m)14:15…石割の湯15:05/17:40=(籠坂峠経由)=御殿場IC=君津IC19:55<行動時間:4時間+1時間45分>
 スライドショー
 前夜は雨も降っていたが天気予報を信じて予定通り出発した。御殿場に近付くにつれて富士山も姿をあらわしてくれホットする。足利SAで金時うどんを食べて昼食のお握り2個を求めた。
 車は内野に駐車予定だったが、養鶏場を過ぎると新しい道路があり行けるところまで行って車を止めた。
 今シーズン初聴きのツツドリが迎えてくれ、富士山がどかーと聳えている。

 杓子山・立ノ塚峠への標識に導かれて進んでいると二股が出てきたが、ここには標識はなく稜線に出るであろう真直ぐなルートを選択して進むとあっという間に立ノ塚峠に。予定では90分が35分で到着、車で雨乞山分岐まで登ってきたのだろうと推測した。

 晴れ予報はどうしたのだ、厚い雲が覆っている。初めは広い道を進み、途中から岩場が出てきた。鹿もこれ以上登れないから鹿留山と付いたのだろうと思った。 

 一段登ったピークでは富士山が日本画的な絵を雲の中から頭を出してくれたが、これから先も岩場の連続で、ここを降るときは要注意だなと思って慎重に登った。

 子の神に着くと鹿留山から戻ってきた犬を連れたご老体は「三十曲峠まで車で上がってきた」と、もう一人が小生の後から登ってきて杓子山に行くとのことで二人は登って行った。天候が良ければ鹿留山で一杯予定だったが視界も無く、降りの岩場を考えて止めた。

 青空も出てきてマメザクラ・コブシを全景にした富士山も眺められるようになり、登山道にはスミレの花とキジムシロ・ツクバネソウ・ハシリドコロ・トリカブト等の若芽が見られるくらいで、山全体は春にはまだまだ遠い感じです。
 立ノ塚峠に戻って行動食を摂って再出発します。楢尾山は地図には登山道が引かれてなかったので藪漕ぎ覚悟で緯度経度を調べ
GPSを持参したが、何のことない広い道に導かれて三角点に。ここで祝杯を挙げた。

 加瀬山から引き返す時に若い女性のトレールランナー2人が杓子の方から来たとのこと、一緒に走りたい気分なり。立ノ塚峠に再再度戻って降ります。あっという間に20分で着き、予定では1日目が終了ですが2日目予定の高指山に登ることにして石割の湯を目指した。

 石割の湯は山中湖から道志に向かうルートにあって、ここの駐車場に止めて足元はトレイルランシューズに履き替えて2時間30分予定でスタートした。

 別荘地を抜けて富士岬平からのコースだったが、別荘地からルートを南に外れて獣道のカヤトの中を直登することになってしまった。上の方からがやがやと声が聞こえ、山中湖と富士山が逆光の中に絵になる景観を見せてくれるが、なかなか稜線に出ない。やっと出たら中学生の一団で、引率の人に「高指山は」と聞くと「ここです」と標識を指してくれた。

 これで4座を稼ぎ富士山を堪能した山歩きだった。下山時に振り返るとカヤトの山頂が拡がっていて登山道をのんびりと石割の湯に戻った。
 平日ということもあって混んでなく、桧の露天風呂には小一時間浸かっていた。何時間でものぼせることなく過ごせそうで、近隣のお爺さん達の憩いの場所となっているようで湯の中で会話が弾んでいました。 
 風呂から上がって休憩所で‘今日帰る‘メールを送ると二日間予定だったのが一日で帰るのでがっかりしたようでした。

 20分近く仮眠して気分スッキリとなり、渋滞も無くノンストップで無事戻れた。

 帰路の車の中で熊本の地震が震度5強近くのニュースが、こんな中に山に登るなんて不謹慎だろうか。罪滅ぼしではないが、コーラーの大瓶に小銭を入れていた\6,312を義援金に、鉈目会では\10,000を送った。一日も早く復旧を願う。